北側稲荷神社。京都の伏見稲荷を勧請
北側稲荷神社の概要
北側稲荷神社は、三芳町竹間沢にある神社です。北側稲荷神社は、竹間沢にある京都の伏見稲荷を勧請した稲荷神社のうちの一社で、残されている勧請文書から嘉永5年(1852)には稲荷社としてまつられ、幟旗などから、稲荷講としてはそれ以前に結成されていたといいます。
社号 | 稲荷神社 |
---|---|
祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 初午2月11日 |
住所 | 入間郡三芳町竹間沢 |
備考 | - |
北側稲荷神社の由緒
北側稲荷神社は、竹間沢にある京都の伏見稲荷を勧請した稲荷神社のうちの一社で、残されている勧請文書から嘉永5年(1852)には稲荷社としてまつられ、幟旗などから、稲荷講としてはそれ以前に結成されていたといいます。
新編武蔵風土記稿による北側稲荷神社の由緒
(竹間沢村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による北側稲荷神社の由緒
北側稲荷
竹間沢には、京都の伏見稲荷を勧請した六つの稲荷神社があり、それぞれの稲荷社は一〇~二〇軒程の家々で講が組織され、管理されている。稲荷講(初午祭)は二月十一日(以前は三月初午)に行われる。この日、講中の大人たちは社の前に大きな幟旗を立て、夕方になると宿と呼ばれる年番の家に集まり宴を行う。また、子供たちは昭和三〇年頃までお籠りと称して境内に小屋を作り一夜を過ごした。当社は、嘉永五年(一八五二)の勧請文書が残るが、天保十一年(一八四〇)の幟旗の存在から、講の結成は更にさかのぼるとされる。(境内掲示より)
北側稲荷神社の周辺図