川角稲荷神社。毛呂山町川角の神社

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川角稲荷神社。旧勝呂郷玉林寺村の鎮守

川角稲荷神社の概要

川角稲荷神社は、毛呂山町川角にある神社です。川角稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、永禄年間(1558-1570)頃には既に玉林寺村として開発されており、開村の時から勝呂郷玉林寺村の鎮守として祀られてきたといいます。明治維新後には玉林寺村は川角村の飛地として扱われたことから、川角八幡神社が村社となり、当社は大正元年に川角八幡神社に合祀されましたが、合祀後もそのまま旧地で祀られ、戦後成立した宗教法人法により登録認証されています。

川角稲荷神社
川角稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 稲荷様2月初午、秋祭り10月17日
住所 毛呂山町川角2201
備考 -



川角稲荷神社の由緒

川角稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、永禄年間(1558-1570)頃には既に玉林寺村として開発されており、開村の時から勝呂郷玉林寺村の鎮守として祀られてきたといいます。明治維新後には玉林寺村は川角村の飛地として扱われたことから、川角八幡神社が村社となり、当社は大正元年に川角八幡神社に合祀されましたが、合祀後もそのまま旧地で祀られ、戦後成立した宗教法人法により登録認証されています。

新編武蔵風土記稿による川角稲荷神社の由緒

(玉林寺村)
稲荷社
村の鎮守なり、百姓持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による川角稲荷神社の由緒

稲荷神社<毛呂山町川角二二〇一(川角字塚原)>
鎮座地である玉林寺は川角の飛び地とされ、永禄年間には太田大膳亮が領していたと伝え、当社は開村のころからその鎮守として祀られている社であるという。
当地は江戸時代には玉林寺村と称し、川角村に属し、年貢は川角村と一本であったが、他の面では一村とみなされていた。『風土記稿』は、川角村に隷すと記しながら玉林寺村を一村として扱い、当社について「稲荷社 村の鎮守なり、百姓持」と載せ、社蔵の宝歴三年の棟札にも「奉修覆當村鎮守稲荷明神社天下泰平攸 武刕入間郡玉林寺村氏子」とある。しかし『郡村誌』には川角村の項に当社を挙げ、「東方飛地にあり宇迦魂命を祭る」と、飛び地として扱っている。
明治五年に川角村の八幡神社が村社となり、当社は無格社となったが、その後のいわゆる一村一社制により、大正元年に八幡神社へ合祀された。しかし、合祀後も旧来信仰してきた神社を一朝にして廃することは忍び難く、また、川角の八幡神社へは当地が飛び地として扱われていたことから距離があり、参拝の便も悪いため、合祀後もそのまま旧地に残された社で祭祀が続けられていた。このような中で、戦後まもなく旧氏子により社を元に戻そうとの働き掛けが行われ、昭和二九年登録認証されて現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


川角稲荷神社の周辺図