星宮神社。天之御中主神を祭る社
星宮神社の概要
星宮神社は、毛呂山町下川原にある神社です。星宮神社の創建年代等は不詳ながら、往古より星宮と称されていたものを、元和年間(1615-1624)妙見社と改称、村の鎮守として祀られていたといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より社領7石の御朱印状を受領、明治維新後の明治5年旧称の星宮に復し、村社に列格、明治40年日枝神社、稲荷神社を合祀しています。
社号 | 星宮神社 |
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祭神 | 天之御中主神 |
相殿 | - |
境内社 | 富士仙元社、稲荷社、三峰社 |
祭日 | 春祭り3月3日、秋祭り10月28日、12月3日妙見祭 |
住所 | 毛呂山町下川原248 |
備考 | - |
星宮神社の由緒
星宮神社の創建年代等は不詳ながら、往古より星宮と称されていたものを、元和年間(1615-1624)妙見社と改称、村の鎮守として祀られていたといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より社領7石の御朱印状を受領、明治維新後の明治5年旧称の星宮に復し、村社に列格、明治40年日枝神社、稲荷神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による星宮神社の由緒
(下河原村)
淺間社
村の鎮守にて、社領七石は慶安二年に賜へり、延命寺の預、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による星宮神社の由緒
星宮神社<毛呂山町下川原二四八(下川原字久保裏)>
下川原は高麗川と葛川に挟まれ、台地から低地に移る所にある。縄文中期・弥生・古墳・奈良・平安の遺跡が地内にあり、成立の古さを物語っている。また、当地は両墓制の行われる所として著名である。
当地方には、流星に対する信仰を源としたと思われる、星を祀る社があり、飯能長沢の借宿神社、飯能南の我野神社、名栗の星宮神社、毛呂山の出雲伊波比神社(飛来大明神)などである。当社もこれらと同様の信仰を持つ社である。
社記に「往昔星宮と称したが、元和年間妙見社と改称する。慶安二年妙見社領七石を賜う、明治五年旧号に復し星宮神社と称す」とある。
『風土記稿』には、妙見社の名は見えず、「浅間社村の鎮守にて社領七石は慶安二年に賜へり、延命寺の領」がある。『郡村誌』もこれをうけて「慶安二年己丑浅間社に領七石を付す。明治四年辛未浅間社領韮山県に合す」と載せている。これは『風土記稿』において妙けんと浅けんを誤ったためと考えられる。
別当は隣接する真言宗息災山吉祥院延命寺であった。
一間社流造りの本殿には、五八センチメートルの白幣を安置し、文政五午九月十七日造之の墨書があり、祭神は天之御中主神である。
明治五年に村社となり、同四〇年三月には字矢島の日枝神社、字船原前の稲荷神社を合祀した。(「埼玉の神社」より)
星宮神社の周辺図