浄光寺。毛呂山町川角にある曹洞宗寺院
浄光寺の概要
曹洞宗寺院の浄光寺は、霊鷲山と号します。浄光寺は、小室永源入道重吉が応永3年(1396)に薬師如来像を奉安して一宇を創建、龍穏寺10世善庵が永禄年間(1558-1570)に一寺とし、後に龍穏寺22世鐵心御洲(大覺佛海禅師、後の永平寺貫主)が開山したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より薬師堂領として5石2斗の御朱印状を受領しています。
山号 | 霊鷲山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 浄光寺 |
住所 | 毛呂山町川角1297 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄光寺の縁起
浄光寺は、小室永源入道重吉が応永3年(1396)に薬師如来像を奉安して一宇を創建、龍穏寺10世善庵が永禄年間(1558-1570)に一寺とし、後に龍穏寺22世鐵心御洲(大覺佛海禅師、後の永平寺貫主)が開山したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より薬師堂領として5石2斗の御朱印状を受領しています。
新編武蔵風土記稿による浄光寺の縁起
(川角村)
浄光寺
曹洞宗、龍ヶ谷村龍穏寺の末、兩聚山と號す、當寺の起立を尋るに、應永三年當所の人小室永源入道重吉と云もの、堂一宇を建立して薬師を安置す、其後永禄の頃、本山十世の僧善庵が時、一寺とせしゆへ、今是を開山とす、此僧は天正五年二月廿九日寂せり、本尊は彼薬師にて湛慶の作なり、慶安二年の御朱印に、薬師免五石二斗とあり、
天神社(新編武蔵風土記稿より)
「入間郡誌」による浄光寺の縁起
浄光寺
内手にあり。靈鷲山と號し、龍穏寺に屬す。永禄三年永元入道創立にして、鐵心御洲の開山なりと云ふ。其以前或は小庵ありしものならん。墓地に二三の板碑あり。或は寺地が館蹟に接近せるより思ふに寺は館主の菩提寺たりしやも計られず。永元入道の如き蓋し館主の一人にや。或は曰く永元入道は小室氏の祖なりと。(「入間郡誌」より)
浄光寺の周辺図