銚子口香取神社。銚子口の獅子舞
銚子口香取神社の概要
銚子口香取神社は、春日部市銚子口にある神社です。銚子口香取神社の創建年代等は不詳ながら、銚子口の鎮守として古来より祀られ、当社の祭礼では、越谷市の下間久里から元禄10年(1697)に伝えられた獅子舞が奉納されます。明治39年に字溜川の八雲神社・稲荷社、字中道下の雷電社を合祀、豊野工業団地の造成に伴い水天宮を昭和57年合祀しています。銚子口の獅子舞は、春日部市無形民俗文化財に指定されています。
社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、浅間・三峰、水神・稲荷・放送神・雷電社、猿田彦大神3等 |
祭日 | 1月15日、7月15日、10月23日 |
住所 | 春日部市銚子口551 |
備考 | - |
銚子口香取神社の由緒
銚子口香取神社の創建年代等は不詳ながら、銚子口の鎮守として古来より祀られ、当社の祭礼では、越谷市の下間久里から元禄10年(1697)に伝えられた獅子舞が奉納されます。明治39年に字溜川の八雲神社・稲荷社、字中道下の雷電社を合祀、豊野工業団地の造成に伴い水天宮を昭和57年合祀しています。
新編武蔵風土記稿による銚子口香取神社の由緒
(葛飾郡銚子口村)
香取社
村の鎮守なり、西蔵院の持、
末社白山、吾妻、船玉(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による銚子口香取神社の由緒
香取神社<春日部市銚子口五五一(銚子口字溜川)>
「かんどり様」の通称で親しまれている当社は、銚子口の鎮守として祀られてきた社である。銚子口は、中川と古利根川に挟まれた南北に細長い形をした地区で、その名が示すように、古くはこの辺りが東京湾に注ぐ河口であったと推測される。また、銚子口は、元来は葛飾郡松伏領のうちとして下総国に属していたが、寛永年間(一六二四-四四)ごろ、武蔵国に編入された。
当社の境内は、この銚子口の西部に位置し、本田組と呼ばれる村組のほぼ中央にある。境内周辺は、まだ農家が残り、農業地域の面影を残しているが、近くに豊野工業団地が造成されたことから、次第に都市化が進みつつある。創建の年代は定かで無いが、当社の獅子舞は、元禄十年(一六九七)に越谷市の下間久里から伝えられたものであることが、由来を伝える古文書に記されており、当時既に当社が鎮守として祀られていたことが確認できる。また、伝えによれば、享保十七年(一七三二)に神祇管領吉田家から宗源宣旨を受けているという。
『風土記稿』銚子口村の項に、「香取社 村の鎮守なり、西蔵院の持」と載るように、当社は江戸時代には真言宗の西蔵院の管理するところであった。こうした関係から、明治期に拝殿を再建した際、神体を納めた厨子が西蔵院に移され、長らく同寺の預かるところとなっていたが、昭和四十九年の本殿改修の後、当社に戻された。(「埼玉の神社」より)
銚子口香取神社所蔵の文化財
- 銚子口の獅子舞(春日部市指定無形民俗文化財)
銚子口の獅子舞
銚子口の獅子舞は、元禄十年(一六九七)に今の越谷市下間久里から伝わったもので、「日本無双角兵衛獅子」とも呼ばれています。
この獅子舞は、一人立三頭獅子という形式で、一人が一つの獅子頭を被り、太夫獅子・中獅子・小獅子(女獅子)の三頭で舞うものです。曲目は天狗の舞、出端の舞など十曲以上にもわたります。いずれの舞も親子の情愛をもって演じられる、勇壮・雄大なものです。特に最後に舞われる「幣掛り」では、太夫獅子が幣束を抜き取り、四方の悪魔を切る仕種が行われ、参列者の厄が祓われます。このような悪魔払い、疫病退散などの祓がこの獅子舞の特徴となっています。(春日部市教育委員会掲示より)
銚子口香取神社の周辺図