猫の足あとによる埼玉県寺社案内

粕壁秋葉社。春日部市中央の神社

粕壁秋葉社の概要

粕壁秋葉社は、春日部市中央にある神社です。粕壁秋葉社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代に粕壁宿の名主であった多田次郎兵衛が邸内に建立したもので、火伏の神として崇敬されたといいます。東武鉄道の敷設により社地が分断され、また昭和45年の区画整理により当地へ遷座しています。

粕壁秋葉社
粕壁秋葉社の概要
社号 秋葉社
祭神 迦具土神、罔象女神
相殿 -
境内社 -
祭日 4月第2日曜日、12月第2日曜日
住所 春日部市中央1-44-3
備考 -



粕壁秋葉社の由緒

粕壁秋葉社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代に粕壁宿の名主であった多田次郎兵衛が邸内に建立したもので、火伏の神として崇敬されたといいます。東武鉄道の敷設により社地が分断され、また昭和45年の区画整理により当地へ遷座しています。

境内掲示による粕壁秋葉社の由緒

秋葉社の由緒
この神社は、秋葉社と申し、火の神さま(かぐつちのかみ)と、水の神さま(みつはのめのかみ)の二神をお祀りしてあります。
火の神さまは、わたくしたちに、火をわけてくださるために、いつもこれを護っていらせられますが、この神恩を忘れて、大切に取扱わないときは、神さまの御心にそむきますから、消えたり、または禍と変わって火事をまねきます。不要な火は、神さまへお返しするという心がけをもてば災難は起りません。
水の神さまは、わたくしたちの生命をつなぐ水を護っていらせられ、雨を降らせて、水の源をつくり、また田畑を潤して作物のみのりを与えてくださるのです。
この神社は、むかし、粕壁宿の名主、多田次郎兵衛が、おまつりしたものですが、たいへん御利益があるというので、多くの人が火防神として参拝し神様に感謝しております。(富士見町会掲示より)

新編武蔵風土記稿による粕壁秋葉社の由緒

(埼玉郡粕壁宿)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による粕壁秋葉社の由緒

秋葉社<春日部市中央一-四四-三(粕壁町字金内)>
ある年の十二月の北西風の強い日の夜、旧粕壁宿の名主である多田次郎兵衛宅の裏手で大きな地響きがした。次郎兵衛が行って見ると、六尺余りの槍を携えた一人の修験者が立っていた。その人を家に泊めてもてなしたところ、別れ際に笈の中から一つの包みをくれた。治郎兵衛がこれを開けてみたところ、秋葉様の御神体であった。そこで、あれは秋葉様の使いであったかと、修験者の降り立った所に社を建てて祀った。これが当社の始まりであるという。
この話に伝えられる神体は、像高約二七センチメートルの秋葉大権現像で、ほかに像高約二一センチメートルの天狗像、総高約四二センチメートルの神鏡などが内陣に安置されている。現在の本殿は明治十七年、拝殿は昭和三十二年にそれぞれ改築されたものである。また、氏子の間では、この神社は「遠州秋葉」といわれており、修験者が持っていたと伝えられる六尺の槍も長い間神社にあったが、いつの間にかなくなってしまった。
昭和四十五年十月八日、市の都市計画により元来の境内地が西口広場になったため、当社は現在の境内地に遷座した。元地は、春日部駅の西口の交番の前の、二本の大松がある所で、かつては多田家の邸内であった。多田家の屋敷は旧日光街道から今の西口広場まで続く広大なもので、現社地は市有地であった。ちなみに、当社の社務所は、この遷座の際に地区の集会所を兼ねて建設されたものである。(「埼玉の神社」より)


粕壁秋葉社所蔵の文化財

  • 秋葉神社の夫婦松(春日部市指定天然記念物)

秋葉神社の夫婦松

秋葉信仰は、江戸時代の中頃、三河(現在の愛知県)の秋葉三尺防という修験者が呪術による火災の厄を払ったことに始まり、その後、全国的な流行となったものといわれ、秋葉社は火防の神として現在でも多くの信仰を集めています。
この秋葉神社は、江戸時代に粕壁宿の名主多田次郎兵衛が個人的に祠を建てて祀ったものといわれていますが、東武鉄道の敷設により敷地が分断され、後に区画整理によって、神社は春日部駅南側の地下道横に移転し、神木としてのイチョウだけがそのままの姿で残されたものです。
このイチョウのうち南側の一本は、松が根元で一緒になっており、地上一メートル程のところからそれぞれ分岐し別々の木となっています。その姿の珍しいことから秋葉神社の夫婦松とも呼ばれ親しまれています。
この夫婦松は、形姿上、植物学上貴重であり、昭和六十三年七月二十五日春日部市天然記念物に指定されました。(境内石碑より)

粕壁秋葉社の周辺図