藤塚香取神社。東国寺光誉上人が勧請
藤塚香取神社の概要
藤塚香取神社は、春日部市藤塚にある神社です。藤塚香取神社は、東国寺を天正4年(1576)に開山した光誉上人が天正6年(1578)に下総国一宮香取大神を東国寺境内に勧請、その後当地へ遷したといいます。江戸期には藤塚村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治39年には字本宮の無格社天神社及び字谷中の無格社雷電神社を合祀しています。
社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主命 |
相殿 | - |
境内社 | 天満宮、稲荷2、雷電、弁財天 |
祭日 | 春祭り5月3日、夏祭り7月15日、秋祭り10月24日 |
住所 | 春日部市藤塚429 |
備考 | - |
藤塚香取神社の由緒
藤塚香取神社は、東国寺を天正4年(1576)に開山した光誉上人が天正6年(1578)に下総国一宮香取大神を東国寺境内に勧請、その後当地へ遷したといいます。江戸期には藤塚村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治39年には字本宮の無格社天神社及び字谷中の無格社雷電神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による藤塚香取神社の由緒
(葛飾郡藤塚村)
香取社
村の鎮守なり、東國寺の持、本地十一面觀音を安ず、恵心の作、
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天神社
持前に同じ(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による藤塚香取神社の由緒
香取神社<春日部市藤塚四二九(藤塚字根郷)>
藤塚の地名は、当社の鎮座地が、かつて塚になっており、この塚が富士講の「富士塚であったことに由来するといわれ、そこに当社を勧請したという説がある。しかし、当社の創建年代は、富士講の成立よりも古いことや、境内に富士講に関する石碑類もないことから、恐らく、藤塚は「縁塚」の意で、古利根川によってできた自然堤防の川縁に塚があったことに由来したものではないかと思われる。
当社の創建は、社伝によると天正四年(一五七六)、当地に浄土宗善照山東国寺を開山した光誉上人が、同六年(一五七八)に下総国一宮香取大神を勧請したとある。更に、氏子の伝えによると、当初は東国寺の境内に勧請され、後に当地へ遷したという。その後、寛政元年(一七八九)に遠藤源蔵長好らが発願し、宝誉上人によって再建されている。また、享保十三年(一七二八)には神祇管領の吉田家から宗源宣旨をもって正一位の極位を受けると共に本殿を改築し、次いで、文政十二年(一八二九)には、東国寺十八世洞誉により香取大明神の神像が奉納されている。
神仏分離の後は、東国寺の管理を離れ、明治五年に村社となり、同三十九年には字本宮の無格社天神社及び字谷中の無格社雷電神社を合祀し、大正十四年には社務所を新築した。その後、社殿の老朽化と氏子の増加に対応し、昭和四十九年に社殿および社務所を新築した。(「埼玉の神社」より)
藤塚香取神社の周辺図