二ノ宮神社。造り酒屋を営んでいた斎藤家の個人所有の聖天社
二ノ宮神社の概要
二ノ宮神社は、春日部市花積にある神社です。二ノ宮神社の創建年代等は不詳ながら、かつては聖天社と称して、造り酒屋を営んでいた斎藤家の個人所有の社だったといいます。斎藤六右衛門の代に、七体ある当社の神体を天ぷらに揚げて(浴油供)、「七代に授ける財産を一代に授けてくれ」と願を懸けたところ大いに賑わったものの、その後零落してしまったため、聖天社を村に寄附、村の鎮守となったといいます。明治維新にあたり、別に鎮座していた二ノ宮社を当社へ合祀、二ノ宮神社と改めたのではないかといいます。
社号 | 二ノ宮神社 |
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祭神 | 歓喜天 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 7月20日 |
住所 | 春日部市花積128 |
備考 | - |
二ノ宮神社の由緒
二ノ宮神社の創建年代等は不詳ながら、かつては聖天社と称して、造り酒屋を営んでいた斎藤家の個人所有の社だったといいます。斎藤六右衛門の代に、七体ある当社の神体を天ぷらに揚げて(浴油供)、「七代に授ける財産を一代に授けてくれ」と願を懸けたところ大いに賑わったものの、その後零落してしまったため、聖天社を村に寄附、村の鎮守となったといいます。明治維新にあたり、別に鎮座していた二ノ宮社を当社へ合祀、二ノ宮神社と改めたのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による二ノ宮神社の由緒
(埼玉郡花積村)
聖天社
村の鎮守なり、東西寺の持。
末社。稲荷、浅間。
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二ノ宮社
長二尺、横一尺許の青石を神體とす、村民持、下同。 (新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による二ノ宮神社の由緒
二ノ宮神社<春日部市花積一二八(花積字反町)>
当社は、元来は聖天社と号し、「花積大尽」と呼ばれる斎藤家の持ちであった。造り酒屋を営んでいた同家は、斎藤六右衛門が当主の代に、七体ある当社の神体を天ぷらに揚げて(浴油供)、「七代に授ける財産を一代に授けてくれ」と願を懸け、その霊験あってか大いに盛った。しかし、その後は衰退し、社の維持も困難になったため、同家では当社を村に寄附した。以来、当社が村の鎮守となったという。
当社が斎藤家から村に譲渡された時期は定かではないが、『風土記稿』には「聖天社 村の鎮守なり、東西寺の持」と載る。また、当社とは別に「二ノ宮社 長二尺、横一尺許の青石を神体とす、村民持」との記載があり、「二ノ宮社」は、当社とは別の社であったと思われる。『郡村誌』などその後の地誌には、聖天社の名が見られなくなり、当社の社号が二ノ宮神社に変わっていることを考えると、聖天社に二ノ宮神社を合祀し、社号を二ノ宮神社に改めたものと推測される。これは恐らくは、明治初年、神仏分離によって存亡の危機にあった聖天社を存続させるためにとられた措置であろう。
一方、『明細帳』には、当社の由緒として「延宝年中(一六七三-八一)頃より道口蛭田村花積村両村鎮守と唱来り」との記載がある。ただし、この記事が当社の創立を伝えるものか、斎藤家から村への譲渡を伝えるものかは、他に資料がないため、判断し難い。(「埼玉の神社」より)
二ノ宮神社の周辺図