大畑香取神社。「やったり踊り」
大畑香取神社の概要
大畑香取神社は、春日部市大畑にある神社です。大畑香取神社の創建年代等は不詳ながら、大畑が大場から分村して成立して以来、大畑村の鎮守社として祀られてきたのではないかといいます。江戸期には参勤交代による夫役をめぐって大畑村と備後村とで起こったいさかいを相撲で決着、大畑が勝利したことに因んで「やったり踊り」が奉納されるようになったといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治43年に字西下モ田の鴨別雷社と字前の櫛麻神社を合祀しています。
社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主命 |
相殿 | - |
境内社 | 大畑稲荷、浅間大神、弁財天、久那戸大神、猿田彦大神等 |
祭日 | 例祭(やったり踊り)7月15日前後の日曜日 |
住所 | 春日部市大畑230-1 |
備考 | - |
大畑香取神社の由緒
大畑香取神社の創建年代等は不詳ながら、大畑が大場から分村して成立して以来、大畑村の鎮守社として祀られてきたのではないかといいます。江戸期には参勤交代による夫役をめぐって大畑村と備後村とで起こったいさかいを相撲で決着、大畑が勝利したことに因んで「やったり踊り」が奉納されるようになったといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治43年に字西下モ田の鴨別雷社と字前の櫛麻神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による大畑香取神社の由緒
(埼玉郡大畑村)
香取社
村の鎮守、村民の持、
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雷電社
西光寺の持
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辨天社
村持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大畑香取神社の由緒
香取神社<春日部市大畑二三〇(大畑字前)>
大畑は、現在「おおはた」と読んでいるが、古くは「おおばたけ」と読み、その名が示すように、畑場として村が開かれたものと思われる。当社は、『風土記稿』大畑村の項にも「香取社 村の鎮守、村民の持」と載っているように、この大畑の村の鎮守として祀られてきた神社である。
当社の創建については伝えがないが、大畑は大場から分かれて成立した村であり、本村である大場の鎮守が香取神社であること、同じく大場から分かれた村である中野でも鎮守として香取神社を祀っていることなどを考えると、分村の際に、本村の鎮守を勧請したものではないかと思われる。本殿の内陣には、鉄剣や幣束と共に神体として、香取大明神像を中央に取り付けた直径一九センチメートルの銅鏡が安置されているが、この銅鏡には「武州崎玉郡大畑ケ村 明和四年(一七六七)二月十五日荒井長□□」との銘があることから、少なくとも当時は現在のような姿で当社が祀られていたことが推測される。
維新後は、明治六年に村社になり、同四十三年に字西下モ田の無格社鴨別雷社と字前の無格社櫛麻神社を合祀した。また、大正十二年の関東大震災では本殿半壊の被害を受けたが、氏子の協力によって間もなく復興した。しかし、社殿の老朽化が激しくなってきたため、昭和四十五年に改築を実施し、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
大畑香取神社所蔵の文化財
- やったり踊り(埼玉県指定無形民俗文化財)
やったり踊り
やったり踊りは大畑に伝わる念仏踊りの一種です。江戸時代の参勤交代による夫役を減らすため、不毛の土地をめぐって大畑村と備後村が相撲で決着をつける事になりました。その結果、大畑村が勝利し「ヤッタリナー、ヤッタリナー。」と囃し立てた事が踊りの始まりといわれています。
毎年七月十五日に近い土曜日の夜に、若衆により行列を組んで西光寺を出発し、大畑香取神社まで笛と太鼓にあわせ練りこみます。神社境内では円陣を組み、歌と太鼓にあわせ「扇子踊り」と「手踊り」を奉納します。「扇子踊り」では体を前後に大きく屈伸し、扇子を前へ突き出す所作が、「手踊り」では跳ねながら大きく腕を回して両手を打ちならしたり、片足立ちし、頭上に上げた手で蓮の花が咲く様子を表現する特殊な表情を表す踊りが特徴的です。(春日部市教育委員会掲示より)
大畑香取神社の周辺図