下大増新田香取神社。春日部市下大増新田の神社

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下大増新田香取神社。春日部市下大増新田の神社

下大増新田香取神社の概要

下大増新田香取神社は、春日部市下大増新田にある神社です。下大増新田香取神社は、新方袋香取神社の氏子であった杉崎家が、寛文10年(1670)からはじまった新田開発に際して新方袋香取神社を勧請したといいます。

下大増新田香取神社
下大増新田香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主命
相殿 -
境内社 天神4、天満宮、疱瘡神
祭日 おびしゃ2月21日
住所 春日部市下大増新田358
備考 -



下大増新田香取神社の由緒

下大増新田香取神社は、新方袋香取神社の氏子であった杉崎家が、寛文10年(1670)からはじまった新田開発に際して新方袋香取神社を勧請したといいます。

新編武蔵風土記稿による下大増新田香取神社の由緒

(埼玉郡上大増新田・下大増新田)
香取社二宅
一は上新田、一は下新田の鎮守にて、上下里正の持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下大増新田香取神社の由緒

香取神社<春日部市下大増新田三五八(下大増新田字西耕地)>
大落古利根川と元荒川との間の平野に広がる農業地域の一角を占める下大増新田は、その名が示すように近世初期の新田開発によって成立した村で、当社の境内はその西の外れの水田の中にある。村の開発の時期や開発者についての伝えはないが、隣接する上大増新田は寛文十年(一六七〇)の開発である旨が『風土記稿』にも記されていることから、下大増新田もほぼ同時期に開発されたものと思われる。
この上下の大増新田は、開発当初から上下に分かれていたと考えられ、名主(里正)も各々別に置かれ、鎮守も各々別に香取社を祀ってきた。『風土記稿』上大増新田・下大増新田の項に「香取社二宇 一は上新田、一は下新田の鎮守にて、上下里正の持」と記されているのも、そうした状況をよく表している。また、上大増新田の杉崎家文書の中の文政五年(一八二二)二月の「地誌調御用上、下大増新田村方書上帳」には「一、鎮守 香取大明神一社 往古より名主左太夫持 除地五反壱畝歩 一、鎮守 香取大明神一社 往古より名主栄治持 除地四反三畝歩」とあるが、後者の「香取大明神」が当社である。
なお『風土記稿』や前述の杉崎家文書の中には、別当寺についての記載はなく、地内には寺院や堂も存在しないが、内陣には金幣と共に木造彩色の十一面観音像が本地仏として安置されていることから、古くは当社の祭祀に関わる寺院があったものと推測される。(「埼玉の神社」より)


下大増新田香取神社の周辺図