花積貝塚|縄文時代前期~中期の標式遺跡
花積貝塚の概要
花積貝塚は、春日部市にある名所旧跡です。花積貝塚は、大宮台地慈恩寺支台に立地する縄文時代前期~中期(約6000~4000年前)の貝塚です。昭和3年の発掘調査により前期土器形式の年代的序列を関東地方で初めて得られたころから、標式遺跡(土器の基準となる遺跡)となっています。
名称 | 花積貝塚 |
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みどころ | 市指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 春日部市花積 |
備考 | - |
花積貝塚の由緒
花積貝塚は、大宮台地慈恩寺支台に立地する縄文時代前期~中期(約6000~4000年前)の貝塚です。昭和3年の発掘調査により前期土器形式の年代的序列を関東地方で初めて得られたころから、標式遺跡(土器の基準となる遺跡)となっています。
境内掲示による花積貝塚について
市指定史跡
花積貝塚
本貝塚は大宮台地慈恩寺支台に立地し、縄文時代前期(約六千年前)~中期(約四千年前)の長期にわたって先人が生活した場所です。古くは江戸末期の文献にも貝殻の散布が記され、内陸に存在する海産物に大きな関心を寄せていたようです。
昭和三年の調査では関東地方で初めて前期土器形式の年代的序列が成果として得られ、花積の地名が付いた『花積下層式土器』が誕生し、標式遺跡(土器の基準となる遺跡)として一躍有名になりました。続く昭和四十三年の調査では前期四軒、中期十六軒の住居跡が発掘され、縄文のムラの姿が明らかになりました。土器や石器の生活道具、そして食料となった多量の貝殻の他に、アジ、スズキ、フグ、マイワシ等の魚類、白鳥、鴨の鳥類、猪、狸、ニホンジカの哺乳類の骨も発見され、縄文時代の生活環境や食生活をかいまみる貴重な資料となりました。(春日部市教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による貝塚について
(花積村)
塚
高さ四五尺庚塚と云、この外西北に登り五丈許屈曲せる坂あり、そこより貝亮多くいづれか貝殻塚とよべるなり(新編武蔵風土記稿より)
花積貝塚の周辺図