下赤坂八幡神社。佐野から入植した石川氏の氏神
下赤坂八幡神社の概要
下赤坂八幡神社は、川越市下赤坂にある八幡神社です。下赤坂八幡神社は、川越城主松平信綱・信輝の新田開発に際し、万治3年(1660)に栃木県佐野から入植した石川釆女が氏神として創祀したといいます。江戸時代後期には村の鎮守として祀られていました。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂神社、稲荷神社、山神神社 |
祭日 | 秋大祭9月15日 |
住所 | 川越市下赤坂200 |
備考 | - |
下赤坂八幡神社の由緒
下赤坂八幡神社は、川越城主松平信綱・信輝の新田開発に際し、万治3年(1660)に栃木県佐野から入植した石川釆女が氏神として創祀したといいます。江戸時代後期には村の鎮守として祀られていました。
新編武蔵風土記稿による下赤坂八幡神社の由緒
(下赤坂村)
八幡社
村の鎮守なり、村民持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による下赤坂八幡神社の由緒
八幡神社<川越市下赤坂二〇〇(下赤坂字大野)>
当社は不老川右岸の台地、下赤坂にある。『風土記稿』に「当所も昔は武蔵野の内なりしを、萬治三年下野国佐野の産なる石川釆女と称せし人来て開墾すと云(中略)八幡社 村の鎮守なり、村民持」とある。
口碑に「寛文六年川越城主であった松平信綱・信輝が、藩の財政向上のため、当地の開墾を計画し、石川・深田・渕名・小野家など各地から人を募って入植させた。小野家は川島から、深田は秩父から、渕名は群馬の新田から、石川は佐野より入って開墾した。この時入植させるために殿様が掘らせた三つの井戸は、神社前・石川家前・小野家前にある。神社前は枯れたため大正期に青年団が再掘した」という。
当社の創建は、この入植時に中心となった石川家の氏神が村鎮守となったものと思われる。口碑によると別当は隣村の亀窪村地蔵院であったという。
社記に「文化九年八月再営の本殿棟札」があると記載がある。一間社流造りの本殿がこれであり、内陣には別当地蔵院にかかわるものか三三センチメートルの勝軍地蔵像を安置する。また、釘隠しは別当に関係するか卍を打つ。(「埼玉の神社」より)
下赤坂八幡神社の周辺図