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仙波浅間神社。川越市富士見町の神社

仙波浅間神社の概要

仙波浅間神社は、川越市富士見町にある浅間神社で、仙波古墳群の女塚に鎮座しています。浅間神社は、康平年中(1058-1064)源頼義が奥州征伐の途次に創建、長禄元年(1457)に太田道灌が再営、永禄九年(1566)に北条氏家の臣中山角四郎が再興したといいます。

仙波浅間神社
仙波浅間神社の概要
社号 浅間神社
祭神 木花咲耶姫命
相殿 -
境内社 大黒・辨天・疱瘡・金毘羅・風神
住所 川越市富士見町21-1
備考 -



仙波浅間神社の由緒

浅間神社は、康平年中(1058-1064)源頼義が奥州征伐の途次に創建、長禄元年(1457)に太田道灌が再営、永禄九年(1566)に北条氏家の臣中山角四郎が再興したといいます。

新編武蔵風土記稿による仙波浅間神社の由緒

(大仙波村)富士浅間社
此社地も一丈餘の塚にて、則前にしるせる母塚と云ものなり、仙波中院の持なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による仙波浅間神社の由緒

浅間神社<川越市富士見町二一-一(大仙波字富士ノ腰)>
当社鎮座地周辺には古墳であると伝わる小山が点在し、塚と呼ばれていたが開発に伴い崩されてしまったものが多い。
特に東上線敷設のため崩された鹿見塚などは、万葉集巻一四「武蔵野に占へ肩焼き、真実にも告らぬ君が名、占に出にけり」と歌われた所であった。
当社はこの塚群中の母塚と呼ばれる古墳上に鎮座して、国道を隔てた愛宕神社のある父塚と対を成すものという。山岳信仰に二岳を崇めるものがあるが、母塚山に女神である木花咲耶姫命を祭神とする浅間神社が祀られたこともこのような背景が考えられる。
社記によると、当社は康平年中、源頼義が奥州征伐の途次に分霊したことに始まり、長禄元年に太田道灌が再営し、永禄九年に北条氏家の臣中山角四郎が再興したという。
江戸中期になると関東一円に浅間信仰が起こり、富士登拝が盛んになり、多くの先達が活躍した。当地の先達は正保年間に小野与左衛門であったことが石碑に残されている。正保年間から子育ての信仰が起こり、川越城下をはじめ近郷から厚い信仰があり、これは今日にまで及んでいる。本殿は富士山頂を模した石室様で、正保四年の再建と伝える。大正一二年の震災により倒壊し、まもなく再建されている。(「埼玉の神社」より)

境内掲示による仙波浅間神社の由緒

当神社は康平年間(一〇五八〜一〇六五)、源頼義が奥州征伐の途次に分霊したことに始まり、長禄元年(一四五七)に太田道灌が再営し、永禄九年(一五六六)に北条氏の臣・中山角四良左衛門が再興したという。
文政十一年(一八二八)、川越南町の山田屋久兵衛が近郷富士講並びに有志老若男女の助力を受け、拝殿一棟の再建と一丈余の岩室の上に更に一丈有余を新築したと棟札に記されている。
岩室前の石猿に天保四年(一八三三)の銘があることや、石碑類の多くが天保年間に造営されていることから、文政から天保年間に現在の形が整えられたと考えられる。(この岩室は、大正十二年の関東大震災により崩壊し間もなく再建したとの柵石がある。)
拝殿の天井は、中央部が折上格天井になっており、江野楳雪による百人一首歌仙像の絵がくみこまれている。
神社の祭神には木花咲耶姫命が祀られている。江戸中期、関東一円に浅間信仰が起こり、富士浅間神社を分霊した当神社には、近郷の多くの村々が講を作り、寄進したことが石碑や柵石に刻まれている。
毎年七月十三日の初山には、子育ての神が転じて子宝に恵まれる神としても信じられ、新婚夫婦・幼児を代田お母さん方など毎年一万人にも及ぶ参拝客が訪れている。(境内掲示より)


仙波浅間神社所蔵の文化財

  • 浅間神社古墳(市指定・旧跡)
  • 占肩の鹿見塚(県指定・旧跡)

浅間神社古墳

円墳で、その規模は高さ約五メートル、周囲四二メートルである。現在この古墳の頂上には、浅間神社が祀られており、このためかなり削りとられて墳頂部は平坦になっている。古墳のすその部分に低いところが見られる事から周溝が巡っていたと考えられる。愛宕神社古墳と共に仙波古墳群の中では規模も大きく、群集墳が発生した初期の頃に築造されたものであり、六世紀の中頃のものであろう。仙波地域一帯が農業を専業とする人々によって村落が形づくられ、その指導者の墓として作られたものであり、川越市内では、的場古墳群、南大塚古墳群、下小坂古墳群に次いで残っている仙波古墳群のひとつである。(川越市教育委員会掲示より)

占肩の鹿見塚

万葉集巻十四の
武蔵野に占へ肩灼きまさでにも
告らぬ君が名うらに出にけり
という歌は古代日本人が多く住でいた鹿を持し、その肩を焼いて吉凶を占った習慣にことよせた情緒深い歌であるが、この誕生地が長いこと謎だった。
この仙波の地には、父塚・母塚もふくめて古墳群が形成されていた。しかし、この鹿見塚は大正三年に東上線が開通する際、破壊され消滅してしまったが、土地の小名にも「シシミ塚」「シロシ塚」などと記録されている。シシとは鹿のことである。
建碑の場所は便宜上浅間神社の前を選んだのである。(川越市教育委員会掲示より)

仙波浅間神社の周辺図




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