平塚天満天神社。川越市平塚の神社

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平塚天満天神社。もと別当寺正光寺地

平塚天満天神社の概要

平塚天満天神社は、川越市平塚にある天満天神社です。平塚天満天神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には当地から離れた畑中に鎮座、当地には別当寺だった正光寺があったといいます。明治維新後も、ご神体(神輿型の本殿)は当地(正光寺)にとどまったままだったことから、畑中に鎮座していた当社は”留守天神”とも呼ばれていました。明治5年正光寺が廃寺となり、小学校として利用されていましたが、小学校の統合により、当地が空き地となった後も本殿は当地にで祀られていたものの、社殿は畑中に留まっていたといいます。昭和51年に畑中の社地が川越農業高校の実習地として買収されるにあたり、当地を正式な鎮座地と改めたといいます。

平塚天満天神社
平塚天満天神社の概要
社号 天満天神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 八坂神社、三峰社、道祖土神社
祭日 -
住所 川越市平塚529
備考 -



平塚天満天神社の由緒

平塚天満天神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には当地から離れた畑中に鎮座、当地には別当寺だった正光寺があったといいます。明治維新後も、ご神体(神輿型の本殿)は当地(正光寺)にとどまったままだったことから、畑中に鎮座していた当社は”留守天神”とも呼ばれていました。明治5年正光寺が廃寺となり、小学校として利用されていましたが、小学校の統合により、当地が空き地となった後も本殿は当地にで祀られていたものの、社殿は畑中に留まっていたといいます。昭和51年に畑中の社地が川越農業高校の実習地として買収されるにあたり、当地を正式な鎮座地と改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による平塚天満天神社の由緒

(高麗郡平塚村)
天神社
正光寺の持、
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正光寺
梅香山と號す、新義眞言宗、入間郡石井村大智寺末、本尊薬師を安ず、
辨天社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による平塚天満天神社の由緒

天満天神社<川越市平塚九六(旧平塚字天神後)>
当所は、入間川と小畦川とに挟まれた低地で水田と畑の広がる農業地帯である。古くは平塚村として一村を成し、隣村の平塚新田に鎮座する氷川神社が両村の鎮守となっていた。鎮守が新しく開けた平塚新田にあるのは、入植時に平塚よりも新田の方が戸数が多かったことによる。
口碑によると昔、当社は村はずれの畑中にあり、川が増水すると神社が浸水するため、その都度本殿を担いで、村の中央にある真言宗梅香山正光寺の庫裏に移し、水が引くと元に戻していた。そのため本殿は一間社向唐破風造りの神輿型である。内陣には天神座像を安置している。
明治初めの神仏分離後も当社は庫裏に留まったままとなり、畑中の社は空宮となっていたために“野良天神”“留守天神”と呼ばれ、別の天神であるかに思われるようになった。明治五年、正光寺は無住無檀を理由に廃寺となり庫裏は小学校として大正一二年まで利用されていたが、小学校の統合に伴い庫裏は取り壊され、本殿はその跡地に祀られるようになった。
昭和五一年留守天神周辺の土地が県立川越農業高校の実習地として買収されるに当たり、留守天神が正式な社であることが確認されたのを機に、翌五二年、現社殿に改築し、正式に鎮座地を当地に改めた。(「埼玉の神社」より)


平塚天満天神社の周辺図