下広谷白山神社。名主坂本家が当地を開拓した際に勧請
下広谷白山神社の概要
下広谷白山神社は、川越市下広谷にある白山神社です。下広谷白山神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期に名主を務めていた坂本一族が当地を開拓した際に、加賀一の宮白山比咩神社の分霊を勧請したのではないかといいます。
社号 | 白山神社 |
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祭神 | 伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫尊 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂社、稲荷社 |
祭日 | - |
住所 | 川越市下広谷1155 |
備考 | - |
下広谷白山神社の由緒
下広谷白山神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期に名主を務めていた坂本一族が当地を開拓した際に、加賀一の宮白山比咩神社の分霊を勧請したのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による下広谷白山神社の由緒
(下廣谷村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による下広谷白山神社の由緒
白山神社<川越市下広谷一一五五(下広谷字子ノ神前)>
当社の鎮座地である下広谷は川越市北部に位置し、古くは鶴ヶ島町の上広谷、並びに五味ヶ谷とで一村を成していた。
村の開拓にかかわる口碑に、鎌倉期に坂本と名乗る一族が当地に流れ着き、その時、当地には腹の中の子を入れても一三人しかいなかったという。坂本一族の末裔である小林家は江戸期名主を務め、当社は同家の屋敷鎮守であったこと、更に現在でも同家が永代総代を務めていることなどから、当社の創始は、坂本一族がこの地の開拓に際し、加賀一の宮白山比咩神社の分霊を祀ったことによると思われる。
祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫尊の三柱で、内陣に江戸期の作であるといわれる聖観音像(二一センチメートル)を安置している。
社殿は享保年間と文政年間に建て替えたと伝えられ、更に下って明治一六年に再建している。また、昭和五三年に総工費二千万円を費し拝殿・幣殿を再建している。
明治四一年に字子ノ神前の八坂神社・稲荷神社及び字庚申塚の白山神社を合祀している。『明細帳』には字庚申塚の熊野神社、字大前の八幡神社もそれぞれ合祀したことを載せているが、熊野神社は元地に社殿が現存し、前野・大畑両家が管理しており、八幡神社の本殿及び神体は野崎家が保存している。(「埼玉の神社」より)
下広谷白山神社の周辺図