伊佐沼薬師神社。川越市伊佐沼の神社

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伊佐沼薬師神社。天台宗冷水山醫王寺がそのまま神社となった社

伊佐沼薬師神社の概要

伊佐沼薬師神社は、川越市伊佐沼にある薬師神社です。伊佐沼薬師神社は、明治の神仏分離以前は冷水山醫王寺と号す天台宗寺院で、現在社殿となっている薬師堂は元和9年(1623)川越城主酒井備後守忠利が奉納したものだといいます。明治維新後に社として薬師神社と改称、社殿は川越市文化財に指定されています。

伊佐沼薬師神社
伊佐沼薬師神社の概要
社号 薬師神社
祭神 大己貴命・少彦名命・火具土命
相殿 -
境内社 厳島神社、愛宕社、稲荷社、天満宮
祭日 薬師祭4月8日、夏祈祷8月8日
住所 川越市伊佐沼577
備考 -



伊佐沼薬師神社の由緒

伊佐沼薬師神社は、明治の神仏分離以前は冷水山醫王寺と号す天台宗寺院で、現在社殿となっている薬師堂は元和9年(1623)川越城主酒井備後守忠利が奉納したものだといいます。明治維新後に社として薬師神社と改称、社殿は川越市文化財に指定されています。

新編武蔵風土記稿による伊佐沼薬師神社の由緒

(伊佐沼村)
醫王寺
天台宗、河越城内高松院の門徒、冷水山と號す、境内に大阿闍梨圓順元禄七年十七日と云碑あり、是は開山ならんも知らず、門を入て正面に薬師堂あり、松平美濃守の建立なりといへども、何れの頃と云ことを知らず、當寺の本尊薬師は木像にて長一尺八寸許、行基の作と云、境内別に本堂なければ、此像をも合せて爰に置り、此堂洪水の頃は自然と浮上り、水のひたすことなしといへり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による伊佐沼薬師神社の由緒

薬師神社<川越市伊佐沼五七七(伊佐沼字沼田)>
地名の起こりは伊佐沼と呼ばれる池がある事によるが、池の名は沼の漁業を示す漁であると『芳野村郷土誌稿』に記している。
往古、この一帯は沼であったが、埋め立てによる開発に“開墾六軒”と呼ばれる家々が川越の各地から移住して草分けとなったという。
当社は、神仏分離まで医王寺と呼ばれる寺であり、『風土記稿』に「天台宗、河越城内高松院の門徒、冷水山と号す(中略)門を入て正面に薬師堂あり、松平美濃守の建立なりといへども、何れの頃と云ことを知らず、当寺の本尊薬師は木像にて長一尺八寸許、行基の作と云、境内別に本堂なければ、此像をも合せて爰に置り、此堂洪水の頃は自然と浮上り、水のひたすことなしといへり」とある。寄棟造り茅葺きの社殿(旧薬師堂)は、棟札によると元和九年正月八日酒井備後守が大檀那となり建立し、その後、享保、寛政年中に修理、天保年中に小屋組改造、向拝付加等が行われた。また、内陣の厨子及び十二神将は天保二年、須彌壇は寛政一一年の作であることが昭和三三年市文化財指定に先立って行われた調査で確認された。
現在、内陣は須彌壇の上に厨子を安置し、その前に幣を立て大己貴命・少彦名命・火具土命を祀っている。
境内には寺時代のものが多く、特に文化年中当寺に住んだ佐藤平湖の遺言碑には、その一生を仏に棒げた事を刻んでいる。(「埼玉の神社」より)


伊佐沼薬師神社の周辺図