霞ヶ関神社。ヶ関小学校校庭内に建設、戦没者慰霊碑
霞ヶ関神社の概要
霞ヶ関神社は、川越市笠幡にある霞ヶ関神社です。霞ヶ関神社は、昭和10年に忠魂祀として霞ヶ関小学校校庭内に建設、昭和24年当地へ移転したといいます。社殿の老朽化が進んだことから、社殿を解体し、慰霊碑のみを建立したといいます。
社号 | 霞ヶ関神社 |
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祭神 | 戦没者百四十九柱の御霊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 川越市笠幡282 |
備考 | 旧村社 |
霞ヶ関神社の由緒
霞ヶ関神社は、昭和10年に忠魂祀として霞ヶ関小学校校庭内に建設、昭和24年当地へ移転したといいます。社殿の老朽化が進んだことから、社殿を解体し、慰霊碑のみを建立したといいます。
新編武蔵風土記稿による霞ヶ関神社の由緒
(笠幡村)
昭和期創建のため記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による霞ヶ関神社の由緒
神社本庁所管でないため記載なし(「埼玉の神社」より)
戦没者慰霊之碑による霞ヶ関神社の由緒
霞ヶ関神社の「社」は昭和十年三月忠魂祀として霞ヶ関小学校校庭内に建設された。戦後GHQの指示に依り昭和二十四年四月二十九日、霞ヶ関地区の多勢の奉賛者により奉安され現在地に移築された。日清戦争、日露戦争、満州事変、第二次世界大戦等で散華された戦没者百四十九柱の御霊を祀った特別な地です。
戦後七十年の意義ある年を迎え、建物基礎等に老朽化が進み「社」に代わるものとして慰霊碑の設立を決意し、戦没者「御祭神」の御霊を入魂し名前を刻字し、国の安寧を願い世界の恒久平和、祖国の安泰、家族の幸福を祈りつつ、散った魂、この戦争体験を風化することなく後世に伝え悲惨な戦争を再び繰り返さない証しとして慰霊碑を設立した。(戦没者慰霊之碑より)
霞ヶ関神社の周辺図