仙波東照宮。国重要文化財の本殿・幣殿・拝殿など
仙波東照宮の概要
仙波東照宮は、川越市小仙波町にある東照宮です。仙波東照宮は、天海僧正が寛永10年(1633)1月喜多院内に創建、4代徳川家綱より200石を拝領しています。日光東照宮・久能山東照宮とともに三大東照宮といわれています。本殿・幣殿・拝殿、瑞垣および唐門、随身門・石鳥居、三十六歌仙額が国重要文化財に指定されています。
社号 | 東照宮 |
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祭神 | 徳川家康公 |
境内社 | 弁財天 |
相殿 | - |
住所 | 川越市小仙波町1-21-1 |
備考 | - |
仙波東照宮の由緒
仙波東照宮は、天海僧正が寛永10年(1633)1月喜多院内に創建、4代徳川家綱より200石を拝領しています。日光東照宮・久能山東照宮とともに三大東照宮といわれています。
埼玉県・川越市教育委員会掲示による仙波東照宮の由緒
徳川家康をまつる東照宮は、家康の没後その遺骸を久能山から日光に移葬した元和3年(1617)3月、喜多院に4日間逗留して供養したので、天海僧正が寛永10年(1633)1月この地に創建した。その後寛永15年(1638)正月の川越大火で延焼したが、堀田加賀守正盛を造営奉行とし、同年6月竣工、同17年完成した。当初から独立した社格をもらず、喜多院の一隅に造営されたもので、日光・久能山の東照宮とともに三大東照宮といわれている。社の規模は表門(随身門)・鳥居・拝幣殿・中門(平唐門)・瑞垣・本殿からなっている。本殿の前には歴代城主奉献の石灯籠がある。なお拝殿には岩佐又兵衛勝以筆の三十六歌仙額と幣殿には岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した十二聡の鷹絵額がある。(埼玉県・川越市教育委員会掲示より)
仙波東照宮所蔵の文化財
- 仙波東照宮宮殿付き本殿(国重要文化財)
- 仙波東照宮瑞垣および唐門(国重要文化財)
- 仙波東照宮拝殿および幣殿(国重要文化財)
- 仙波東照宮随身門・石鳥居(国重要文化財)
- 仙波東照宮三十六歌仙額(国重要文化財)
- 仙波東照宮鷹絵額(県指定文化財)
東照宮随身門・石鳥居
境内入口にある随身門は朱塗八脚門・切妻造でとり葺形銅板葺である。八脚門とは三間x二間の門で、門柱四本の前後に各一本ずつの控柱をもっている屋根つき門のことである。以前には後水尾天王の後染筆なる「東照大権現」の額が掲げられていた。記録によるとこの勅額は寛永10年(1633)12月24日とあるから東照宮の創始の時期を知る一つの資料となっている。石鳥居は寛永15年(1638)9月に造営奉行の堀田正盛が奉納したもので、柱に「東照大権現御宝前、寛永15年9月17日堀田加賀守従四位下藤原正盛」の銘文が刻まれており、様式は明神鳥居である。(川越市教育委員会掲示より)
東照宮拝殿・幣殿
拝殿は桁行三間(五・三六m)、梁間(三・六四m)で、単層入母屋造、正面は向拝一間(一・八二m)あって銅板本葺である。幣殿は桁行二間、梁間一間で背面は入母屋造り、前面は拝殿に接続し、同じく銅板本葺である。内部も朱塗で美しく、正面に後水尾天皇の御染筆なる東照大権現の勅額が懸けてある。記録によると寛永十年(一六三三)十二月二十四日とあって、東照宮創建当時に下賜された貴重なものとされている。川越城主であった柳沢吉保や秋元但馬守喬朝の頃に大修復があったと伝えているが、松平大和守の弘化四年(一八四七)にも修復が行われたという。(埼玉県教育委員会掲示より)
仙波東照宮の周辺図