下松原稲荷神社。川越市下松原の神社

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下松原稲荷神社。下松原の開発に際して創建

下松原稲荷神社の概要

下松原稲荷神社は、川越市下松原にある稲荷神社です。下松原稲荷神社は、正保~万治年間(1645-1661)にかけて当地が開発された際に鎮守として創建され、一説によると松平伊豆守信綱の命により、奉行中沢弥兵衛が明暦年間(1655-1658)に創建したともいいます。当初下松原の東南にある産土山に祀られていましたが、明治初年に当地へ遷座しています。

下松原稲荷神社
下松原稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 愛宕社、牛頭天王社
祭日 春祈祷4月15日、夏祭り7月15日、秋祭り10月15日
住所 川越市下松原232
備考 -



下松原稲荷神社の由緒

下松原稲荷神社は、正保~万治年間(1645-1661)にかけて当地が開発された際に鎮守として創建され、一説によると松平伊豆守信綱の命により、奉行中沢弥兵衛が明暦年間(1655-1658)に創建したともいいます。当初下松原の東南にある産土山に祀られていましたが、明治初年に当地へ遷座、明治維新後の社格制定に際して村社に列格しています。

新編武蔵風土記稿による下松原稲荷神社の由緒

(下松原村)
稲荷社
村民の持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下松原稲荷神社の由緒

稲荷神社<川越市下松原二三二(下松原字千代盛)>
当社の開発は近郷と同じく正保から万治年間に行われた。また、この地は武蔵野特有の土質の軽い火山灰土で、松林が広がっていた所である。村の規模は『風土記稿』によると、東西八町、南北七町の小村で四十数戸の家が散在していた。当地の草分けは「ダンナ」という屋号の柿沼家、「ハタヤ」の戸口家、「ハッチョウ」の大木家、「カミスキ」の大木家などである。下松原の農地の大部分を占める辰見野という地名は、ダンナの家から見た方向により名付けられたという。
当社は、これらのシバビラキ(村開発)を行った人々により祀られたと伝える。また、一説には、明暦年間領主松平伊豆守信綱の命を受けた奉行中沢弥兵衛が開墾地に社を鎮祭したともいう。
祭神は、倉稲魂命で、内陣には京都の伏見稲荷大社より勧請されたと思われる神璽筥が現存し、この筥の表書きには「正一位稲荷大明神安鎮・神主正四位下・松本和泉守」とある。
鎮座地は、初め村の東南にある産土山にあったが、明治初年に当社が村社になるにあたり現在の地に移された。
社殿は本殿と拝殿からなり、本殿は一間社流造りで江戸後期の建築である。また、拝殿は入母屋造りで近年まで草葺きであったが、氏子の努力により銅板葺きに改められた。(「埼玉の神社」より)


下松原稲荷神社の周辺図