出世稲荷神社。川越市松江町の神社

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出世稲荷神社。川越市指定天然記念物のイチョウ

出世稲荷神社の概要

出世稲荷神社は、川越市松江町にある稲荷神社です。出世稲荷神社は、立川氏が屋敷鎮守として伏見稲荷大社を勧請、天保2年(1832)創建したといいます。「埼玉の神社」では、松山惣助の祖先が慶長年間に当地に居住した時より、邸内鎮守として奉斎、霊験あらたかだったことから村の共有神社としたと記載しています。当社御神木のイチョウは川越市天然記念物に指定されています。

出世稲荷神社
出世稲荷神社の概要
社号 出世稲荷神社
祭神 宇迦之御魂大神、佐田彦之大神、大宮能売ノ大神
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 川越市松江町1-7-1
備考 -



出世稲荷神社の由緒

出世稲荷神社は、立川氏が屋敷鎮守として伏見稲荷大社を勧請、天保2年(1832)創建したといいます。「埼玉の神社」では、松山惣助の祖先が慶長年間に当地に居住した時より、邸内鎮守として奉斎、霊験あらたかだったことから村の共有神社としたと記載しています。

境内掲示による出世稲荷神社の由緒

稲荷神社由来
当稲荷神社は天保二年(一八三二年)地主、立川氏が屋敷鎮守として、京都、伏見稲荷大社本宮より分社したるものなり。
祭神宇迦之御魂大神、佐田彦之大神、大宮能売ノ大神
古来、稲荷神社は元明天皇(和銅四年)創建以来、農民による稲作、穀物の豊作祈願の神として祭られたもので、宇迦之御魂大神を穀神、佐田彦之大神を地神、大宮能売ノ大神を水神、と説明する。
天慶四年(九四二年)朱雀天皇より正一位を賜る。
中世から近世にかけて庶民信仰が広まり、五穀豊穣のみならず、衣食住、商工業、開運出世、進学、就職、安産等諸々の願い事が叶う神様として、幅広い神徳が仰がれるようになった。
大祭は毎年四月十日
稲荷神社世話人(境内掲示より)

「埼玉の神社」による出世稲荷神社の由緒

出世稲荷神社<川越市松江町一-五二(松郷字松江町)>
当社の鎮座する松江町は、川越城の南西の方角に位置する。地名の由来は、往古この辺から仙波あたりにかけて大きな沼があり、この沼から獲れる鱸の味は、かの唐の松江の巨口細鱗の鱸に劣らないほど美味であったため、訓読の方が語呂の良い事から松江と号するようになったという。
参道入口にそびえる推定樹齢六〇〇年の二本の銀杏は、神木とされ、当社の古さをうかがわせるに十分な雄大さを見せている。
由緒については『明細帳』に「立身出世ヲ望ム者祈リテ霊験アリシト故ニ古旗ニ此称ヲ存セリ当社勧請年月不詳ナレトモ口碑ニ伝ワル所ニ依レハ同所松山惣助ナル者ノ祖先慶長年間始メテ松江町ニ居住セシ時ヨリ其所有地内ニ存セシモノニテ其後奇異ノ霊験アリシヲ以テ近傍ノ人民崇敬日ニ増ス是レヲ以テ同人若干ノ地ヲ当社ニ寄附シ以テ共有ノ神社トナシ歳次祭典ヲ挙クト云フ」とある。
また、安政七年の社殿建立棟札には「出世稲荷大明神社」とあり、「別当万宝院右教房秀玉」「発願組頭松山惣助」等の名が見える。
本殿は川越城下町特有の土蔵造りであり、明治二三年の大火にも焼失を免れている。
明治初めの神仏分離により万宝院の管理を離れ、その後、祀職は岡本逢之助、保、一夫と継いでいる。(「埼玉の神社」より)


出世稲荷神社の周辺図