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元町稲荷神社。川越市元町の神社

元町稲荷神社の概要

元町稲荷神社は、川越市元町にある稲荷神社です。元町稲荷神社は、当地の町年寄だった榎本弥左衛門の祖先が、天正年間(1573-1593)に当地に土着した際に邸内に勧請したと伝えられ、大屋敷稲荷とも、榎本稲荷とも呼ばれていたといいます。川越七稲荷の一つです。

元町稲荷神社
元町稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 -
相殿 -
境内社 -
祭日 例祭5月
住所 川越市元町1-11-8
備考 -



元町稲荷神社の由緒

元町稲荷神社は、当地の町年寄だった榎本弥左衛門の祖先が、天正年間(1573-1593)に当地に土着した際に邸内に勧請したと伝えられ、大屋敷稲荷とも、榎本稲荷とも呼ばれていたといいます。川越七稲荷の一つです。

新編武蔵風土記稿による元町稲荷神社の由緒

(本町)
小名熊野堂
北町へよりし所なり、今南町に住する修験、護法院及び下に出せる彌左衛門等が祖先の住せし所といへり、
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稲荷社
大屋敷稲荷と號す、名主彌左衛門が持、
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舊家彌左衛門
氏を榎本と號す、先祖は紀伊國熊野の人なり、天文年中子孫某なるもの當郡の内に来り住せり、其人気象豪邁にして事に堪たりと云、もとこれ修験にして本國熊野の神を奉じければ、人これを熊野堂と號して、諱字院號等を呼ばず、大道寺在城の頃は熊野堂も其麾下に屬して、戦陣の事にも預りしとなり、今も南町の修験識法院及び此彌左衛門皆子孫なりと云、彌左衛門が先祖は熊野堂が孫、彌惣左衛門が時より浪落の身となりて、ここに土着せしと云、彌左衛門が先祖の寛永の頃記せし萬覺書と題せる一冊あり、己が家のことをほぼしるせり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による元町稲荷神社の由緒

稲荷神社<川越市元町一-一一-八(川越字廓町)>
鎮座地元町は川越市の中央にあり、城下町川越の中心地である。口碑に「川越の町年寄であった榎本家は熊野修験であり、天正年間に当地に移住した名家である。その屋敷に祀られたのがこの稲荷社で川越七稲荷の一つである」という。
『風土記稿』に「稲荷社大屋敷稲荷と号す、名主弥左衛門が持」とあり、更に「旧家者弥左衛門氏を榎本と号す、先祖は紀伊国熊野の人なり、天文年中子孫某なるもの当郡の内に来り住せり、某人気豪邁にして事に堪たりと云、もと修験にして本国熊野の神を奉じければ、人これを熊野堂と号して諱字院号等を呼ばず云々」とある。
社記に「往古当町平民榎本弥左衛門(榎本一家ノ祖先)ナル者其前紀刕熊野新宮ノ修験タリシカ天正年間兵乱ヲ避ケテ当所ニ移リ当社ヲ創立セシ後追々信徒増加シ当本町一同ノ共有崇敬トナリシト云フ」とある。このことから榎本稲荷とも呼ばれる。
明和八年一一月山城國紀伊郡稲荷本山神主松本和泉守発給の「正一位稲荷大明神安鎮之夏」があり、正一位に叙せられている。
本殿は明和八年の建築と伝え、蔵造りである。拝殿は木造のため、明治二六年の川越大火、昭和五年の放火により焼失しているが、本殿は構造のよろしきにより災を免れている。
社蔵の幟は、明治九年・七十四叟・秋葉原暈拝書である。(「埼玉の神社」より)


元町稲荷神社の周辺図