六塚稲荷神社。川越城主太田道真が六つの塚に創建した稲荷社の一
六塚稲荷神社の概要
六塚稲荷神社は、川越市六軒町にある神社です。六塚稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、室町時代に川越城主太田道真が当地を開拓する際に切り崩した六つの塚に創建した稲荷社の一つと伝えられ、慶安元年(1648)には修験岩本坊が当社の別当寺と務めていたといました。岩本坊が退転する際、松山九郎右衛門が岩本坊跡地を譲り受けて当社を崇敬、御旗を奉納したといいます。
社号 | 六塚稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
境内社 | - |
相殿 | - |
祭日 | - |
住所 | 川越市六軒町1-17-3 |
備考 | - |
六塚稲荷神社の由緒
六塚稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、室町時代に川越城主太田道真が当地を開拓する際に切り崩した六つの塚に創建した稲荷社の一つと伝えられ、慶安元年(1648)には修験岩本坊が当社の別当寺と務めていたといました。岩本坊が退転する際、松山九郎右衛門が岩本坊跡地を譲り受けて当社を崇敬、御旗を奉納したといいます。
「埼玉の神社」による六塚稲荷神社の由緒
六塚稲荷神社六塚稲荷神社<川越市六軒町一-一七-三(松郷字六軒町)>
六軒町は川越の中心部に位置し、商店、住宅の密集地である。その地名由来は『風土記稿』に「昔榎本勘解由と云人始てこゝに住す、その頃わづかに六軒ありしゆへこの名起れり」とある。一時箱屋、鍛冶屋などの職人町としても栄えた。
川越には六つの塚が点在していたが、当社はそのうちの一つの塚に祀られたため六塚稲荷と呼ばれるようになったという。
創立は室町期と伝えられ、慶安元年の検地帳には修験岩本坊が別当であることが記され、その後、別当退転の際、松江町の松山九郎右衛門がこの別当跡地を譲り受け神社及び周辺一円松山家の所有となったことから当社を崇敬し、元禄年中に御旗を奉納したことが伝えられる。
社記によると「正徳年中社殿再建ノ棟札アリシヲ安政年度社殿火災ノ為メニ焼失シ同年中尚現今ノ本社ヲ再建シ当時別当識法院ノ棟札並松山氏献旗等現存セリ」とある。ただし現在は明治一二年拝殿再建の棟札が残るのみとなっている。祭神は倉稲魂命で、本殿は一間社流造り正面千鳥破風軒唐破風付で、内陣には鎌を持ち稲束を担う稲荷大明神像を安置する。(「埼玉の神社」より)
六塚稲荷神社の周辺図