川越菅原神社。妙善寺境内社として寛永元年に勧請
川越菅原神社の概要
川越菅原神社は、川越市菅原町にある菅原神社です。川越菅原神社は、妙善寺を開山した尊能法印が、妙善寺境内社として寛永元年(1624)に勧請、天神社と称していました。大正2年に無格社六塚稲荷神社を合祀、同時に社号を菅原神社と改めたといいます。合祀された六塚稲荷神社は、川越合戦の戦没者を葬った六塚の上に天文16年(1547)に創建、朝日生命ビル付近に鎮座していました。
社号 | 菅原神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 六塚稲荷神社 |
祭日 | 4月15日、10月14・15日 |
住所 | 川越市菅原町9-3 |
備考 | - |
川越菅原神社の由緒
川越菅原神社は、妙善寺を開山した尊能法印が、妙善寺境内社として寛永元年(1624)に勧請、天神社と称していました。大正2年に無格社六塚稲荷神社を合祀、同時に社号を菅原神社と改めたといいます。合祀された六塚稲荷神社は、川越合戦の戦没者を葬った六塚の上に天文16年(1547)に創建、朝日生命ビル付近に鎮座していました。
境内掲示による川越菅原神社の由緒
寛永元年(一六二四)妙善寺開山、尊能法印により勧請され、天神社と称する。
大正二年、稲荷神社が合祀され、菅原神社と改称される。(境内掲示より)
「埼玉の神社」による川越菅原神社の由緒
菅原神社<川越市菅原町九(大仙波新田字菅原)>
当地は市の中央部にあり、商店街と住宅地である。地名は当社が町内にあることから付けられている。
『三芳野名勝図会』には当社に隣接する妙善寺の尊能なるものが享和元年に当社を勧請するとある。妙善寺は『風土記稿』に『天台宗にて仙波中院の末寺なり、道人山三心院と号す開山僧尊能寛永元年示寂す、本尊は弥陀を客殿に安置せり、天神社」と載せている。
社記に「当社ハ文明十六年三月ノ創立ナル由古老ノ口碑ニ伝フ、往昔南向ニシテ其近傍ヲ字天神前ト称セシカ後ニ改メリ、又慶安元年縄入ノ際除地賜ハリタルコト水帳ニ現在セリ、文政八年回禄ニ罹リテ創立当時ノ棟札及ヒ古記等灰燼ニ属セリ、大正二年当字無格社六塚稲荷神社ヲ合祀ス、同時ニ社号ヲ元天神社ト称シタルヲ菅原神社ト改称ス」と記している。六塚稲荷神社は天文七年の川越合戦の戦没者を葬った六塚の上に天文一六年に創建したと伝える。同社の大正期合祀は本殿内に行い、昭和二一年仙波小学校の奉安殿を本殿とした際、旧本殿を脇に空殿として保存、同三六年にこの旧本殿に六塚稲荷神社を遷座し境内末社とする。
六塚稲荷の旧境内地は、川越城主が江戸出府、帰川の折の供そろえを改める所として知られた場所であった。(「埼玉の神社」より)
川越菅原神社の周辺図