小久保神明神社。川越市神明町の神社

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小久保神明神社。川越市神明町の神社

小久保神明神社の概要

小久保神明神社は、川越市神明町にある神明神社です。小久保神明神社の創建年代等は不詳ながら、天文年間(1532-1555)の戦乱に際して神明社別当某が、神体を土中に埋めて逃げ去った後、別当某の孫が神体を探しあてて、神明社を再建したといいます。

小久保神明神社
小久保神明神社の概要
社号 小久保神明神社
祭神 天照大神、豊受姫命
相殿 -
境内社 稲荷社
祭日 -
住所 川越市神明町2
備考 -



小久保神明神社の由緒

小久保神明神社の創建年代等は不詳ながら、天文年間(1532-1555)の戦乱に際して神明社別当某が、神体を土中に埋めて逃げ去った後、別当某の孫が神体を探しあてて、神明社を再建したといいます。

新編武蔵風土記稿による小久保神明神社の由緒

(小久保村)
神明社
村内修験、良學院の持
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稲荷社
村内修験、龍泉寺の持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による小久保神明神社の由緒

神明神社<川越市小久保二〇四(小久保字神明町)>
当社は、享和元年に編纂された『三芳野名勝図会』によると、天文年中、兵乱を恐れた当社別当某が神体を背負って逃げようとしたが、神体は三尺ばかりの石のため力及ばず、これを土中に埋めてこの地を去った。年を経て関東も平和になり、かの別当の孫で修験の大宝院が川越に戻って丸馬場辺りに住み、先祖の言い伝えによる神明の旧地を尋ねたが、神社は既になく、ただ東明寺橋の辺に神明山という名が残っていた。やがて苦心の末に神体の石を得ることができ、喜んでこの地に社を建て、大宝院もここに居住したという。
祭神は天照大神と豊受姫命の二柱である。内陣には雨宝童子像と石棒を安置している。
江戸期の奉納物としては、天和三年の庚申待講中による手水鉢が一番古く、次に元禄一〇年の水引幕があり、これには「武州入間郡河越郷城中 奉掛戸張神明宮御寶前請願成就」とある。また、享保一二年には、銅製掛け灯籠と鳥居講中による石鳥居が奉納される。更に、金幣は弘化三年の年紀があり、嘉永二年には、吉田村の信者により狛犬が奉献された。これらはみな江戸期別当であった修験教学院の活動の結果と思われ、当時の修験者の活発な布教を知ることができる。教学院は明治初めの神仏分離により復飾し、三芳と名乗って神職となった。以後、原家が替わって祀職を務めている。(「埼玉の神社」より)


小久保神明神社の周辺図