砂久保稲荷神社。川越市砂久保の神社

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砂久保稲荷神社。川越市砂久保の神社

砂久保稲荷神社の概要

砂久保稲荷神社は、川越市砂久保にある稲荷神社です。砂久保稲荷神社は、砂久保の開発に伴い正保2年(1646)に創建、当地には川越夜戦の際に北条氏康が必勝祈願を行ったとも伝えられています。江戸期には砂久保の鎮守として祀られ、参詣者も多かったといいます。

砂久保稲荷神社
砂久保稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂神
相殿 -
境内社 八坂神社、三峯神社
祭日 2月初午、春祭り4月15日、天王様7月15日、秋祭り10月14・15日
住所 川越市砂久保66
備考 -



砂久保稲荷神社の由緒

砂久保稲荷神社は、砂久保の開発に伴い正保2年(1646)に創建、当地には川越夜戦の際に北条氏康が必勝祈願を行ったとも伝えられています。江戸期には砂久保の鎮守として祀られ、参詣者も多かったといいます。

新編武蔵風土記稿による砂久保稲荷神社の由緒

(砂久保村)
稲荷社
村の鎮守なり、隣村砂新田にある大蔵院の持なり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による砂久保稲荷神社の由緒

稲荷神社<川越市砂久保六六(砂久保字見附)>
砂久保は、正保年間に開墾された所で、『風土記稿』に小名竹原は砂久保村の開かれる前、原野であった時の総名であると載せている。
当社の創建について、社記に「当社正保二乙酉年二月十一日創立セシ由当地雑記中ニ記セリ」とあり、土地開発に伴い、鎮守として祀られたものと思われる。
境内には、川越夜戦の際布陣したと伝える場所、及び川越境応援のために駆けつけた北条氏康が当社に必勝祈願を行ったと伝えられる旗塚がある。
当社には二枚の本殿再営の棟札が残り、一枚は安永二年秋のもので一枚は天保一四年のものである。前者には「今般為武州入間郡川越砂久保村鎮守奉勧請正一位稲荷大明神者昔吉田殿御神位被為有至今下宮奉守所也于時安永二癸巳年則氏子依願仮御神社令遷宮所無相違条依如件吉田佐渡守安永二癸巳秋願主惣代室賀権左衛門殿忍田忠兵衛殿」の文が添えられていて貴重である。
口碑に、稲荷様は、たいそう盛んで、「右いなりみち」と刻んだ石碑が砂新田にあり、これは東京街道から入ってくる人の道標であったという。また、現在拝殿に掛かる「正一位稲荷大明神」の社号額が真っ黒になっているのは、当時別当(砂新田大蔵院)が一日中護摩を焚いたためという。(「埼玉の神社」より)


「入間郡誌」による砂久保稲荷神社の由緒

(砂久保)
稲荷神社
砂新田に出づる街道の東端に位す村社也。(「入間郡誌」より)

砂久保稲荷神社所蔵の文化財

  • 砂久保稲荷神社本殿
  • 砂久保陣場跡

砂久保稲荷神社の周辺図