南田島氷川神社。喜多院にあった氷川社を勧請
南田島氷川神社の概要
南田島氷川神社は、川越市南田島にある氷川神社です。南田島氷川神社は、喜多院にあった氷川社を勧請して天和2年(1682)創建したといいます。明治初期に第六天社など八社を合祀しています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素盞鳴命 |
相殿 | 稲田姫命、大己貴命 |
境内社 | 浅間・御嶽社、八坂社 |
祭日 | - |
住所 | 川越市南田島280 |
備考 | - |
南田島氷川神社の由緒
南田島氷川神社は、喜多院にあった氷川社を勧請して天和2年(1682)創建したといいます。明治初期に第六天社など八社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による南田島氷川神社の由緒
(南田島村)
氷川社。天和二年仙波喜多院境内に祀れる氷川を勧請すと云、村の鎮守にて薬王寺の持。
第六天社。同寺の持
辨天社。
神明社。
稲荷社二宇。
雷電社。
山王社。以上共に村民の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による南田島氷川神社の由緒
氷川神社<川越市南田島二八〇(南田島字西国)>
当社の鎮座する南田島は、川越市の東南部、九十川と新河岸川の間に広がる低湿地帯に位置する。南田島は地味が良いことから、古くから水稲を主体とする農業地帯として栄えたが、その反面、低地であることから水害が多く、河川改修がなされる前は、三、四時間も豪雨が続けば必ず出水するほどであったという。
このような土地であったため、川を鎮め、五穀豊穣をもたらす神という氷川様を村の鎮守として祀ったのが当社の起源と考えられるが、当社もまた度々水害に遭い、棟札・縁起等、一切の歴史資料を失っているため、詳しい由緒はわからない。ただし、『風土起稿』には、「氷川社 天和二年仙波喜多院境内に祀れる氷川を勧請すと云、村の鎮守にて薬王寺の持」とある。文中に見える薬王寺は、明治初年の神仏分離まで当社の別当を務め、現在もなお、氏子のほとんどを檀家に持つ天台宗の寺院であるが、残念ながら同寺にも当社勧請の記録は残っていない。
『明細帳』による主祭神は素盞鳴命で、稲田姫命と大己貴命を配祀する。本殿は一間社流造りで、内陣には幣束と鏡が納められている。合祀は明治初めに第六天社以下八社が行われた。なお祀職は大正の初めから寺尾の滝島家が二代にわたり務めている。(「埼玉の神社」より)
南田島氷川神社所蔵の文化財
- 南田島氷川神社の足踊り
南田島氷川神社の周辺図