高島稲荷神社。元禄二年銘の眷属(狐)像
高島稲荷神社の概要
高島稲荷神社は、川越市高島にある稲荷神社です。高島稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、祀られている眷属(狐)像に元禄二年(1689)の銘があり、江戸時代中期より以前の創建だといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 天神社、疱瘡神社 |
祭日 | - |
住所 | 川越市高島388 |
備考 | - |
高島稲荷神社の由緒
高島稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、祀られている眷属(狐)像に元禄二年(1689)の銘があり、江戸時代中期より以前の創建だといいます。
新編武蔵風土記稿による高島稲荷神社の由緒
(高島村)稲荷社
村民の持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による高島稲荷神社の由緒
稲荷神社<川越市高島三八八(高島字江川)>
当社の鎮座する大字高島は、九十川の左岸に位置する農業地帯である。九十川流域は、川越台地と大宮台地の中間にあたる低地であるため、土地改良が行われ、排水路の整備される昭和一六年までは、度々水害に見舞われていた。このため、当社も幾度か流失し、古記録の一切を失っており、詳しい由緒を今日では知ることができない。
しかし、本殿の前に数多く奉納されている石製の眷属像(狐)のうち、最古のものには、「元禄二己巳天二月三日 心信 高嶋村氏子」と刻まれているところから、江戸時代の中期には既に高島の鎮守として村人の手で祀られていたことをうかがわせる。
『明細帳』によれば、祭神は倉稲魂命となっているが、一間社流造りの本殿に納められている宝珠には、「保食命」と神名が刻まれている。
現在、社殿は西向きに建っているが、もともとは南向きであった。社殿の向きを変えたことについては口碑に、南向きでは社殿が、隣接する大中居の方を向き、当社が大中居の神社のように見えることから、誤解を避けるべく、社殿を西向き、すなわち、高島の中心を向くようにしたのだと伝える。
なお、境内にある末社天神社は、天神座像を祀っている。(「埼玉の神社」より)
高島稲荷神社の周辺図