山田八幡神社。山田郷10ヶ村の鎮守、市指定建造物の本殿
山田八幡神社の概要
山田八幡神社は、川越市山田にある八幡神社です。山田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、源頼政が円形の鉄灯籠(承安元年1171年銘)・白木供椀を奉納、現存しています。山田郷10ヶ村の鎮守として崇敬を集めたきたものの、各村が鎮守社を勧請したため、江戸期には府川村と志垂村2ヶ村の鎮守となったといいます。明治5年村社に列格、明治34年府川の第六天社・同白山神社を合祀、明治41年には府川の神明神社を合祀しています。また末社金鶏神社は、安岡正篤が昭和2年に創設した金鶏学院に祀られていた社で、平成30年に遷座したといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、白山社、御嶽社、金鶏神社 |
祭日 | 例大祭9月 |
住所 | 川越市山田 |
備考 | - |
山田八幡神社の由緒
山田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、源頼政が円形の鉄灯籠(承安元年1171年銘)・白木供椀を奉納、現存しています。山田郷10ヶ村の鎮守として崇敬を集めたきたものの、各村が鎮守社を勧請したため、江戸期には府川村と志垂村2ヶ村の鎮守となったといいます。明治5年村社に列格、明治34年府川の第六天社・同白山神社を合祀、明治41年には府川の神明神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による山田八幡神社の由緒
(府川村)
八幡社
祭神は譽田別命なり、神體は束帶銅像長一寸、鎮座の年代詳ならず、社傳に康永三年再興ありし由を云、又土人の説に昔はいと全盛なる社にして、近郷志垂・比企郡角泉・當村總て十村の鎮守なりしが、中古各村に鎮守を勧請せしより、今は唯當村と志垂村の二村鎮守とせりと云、又前に出せる天正五年の文書に、神田二貫文と載たり、其頃社領もありしこと知るべし、
末社。天神社、稲荷社
神職原攝津。吉田家の配下なり。
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第六天社
神明社
以上二社、村内の修験吉祥院持、
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白山社
神職原攝津持、 (新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による山田八幡神社の由緒
八幡神社<川越市山田一四八(府川字向田町・志垂字宮下)>
当社の創建は、社記に「往古源三位頼政卿ノ奉祀セシ由俗ノ口碑ニ伝ヘリ本社ニ古器円形ノ鉄燈龍一個現存ス表面源三位頼政奉之、承安元年辛夘トアリ、其他白木椀八個アリ、文明三辛夘年三月中神主原市太夫宅舎火災ニ罹リシ時記録等灰燼ニ属セシト云フ、其後慶安元年子八月十七日松平伊豆守領主タリシ時社地二畝十七歩八幡免地先縄ヨリ除ヶ中田壱反四畝弐拾歩右同断先縄ヨリ除ヶ、屋敷壱反七畝二十六歩八幡社神主藤兵衛先ヨリ除ケトアリ三口合三反五畝三歩右ハ河越領ノ内志垂村御検地帳ニ記載アリ、往昔志垂・府川・宿粒・向小久保・石田・菅間・谷中・石田本郷・高畑・角泉ノ十ヶ村ノ鎮守タリ」とある。
承安元年銘の鉄灯籠(高さ二五センチメートル)は現存し、また白木供椀は七個保存されている。
『風土記稿』府川村の項に「八幡社 祭神は誉田別命なり、神体は束帯銅像長一寸、鎮座の年代詳ならず、社伝に康永三年再興ありし由を云、又土人の説に昔はいと全盛なる社にして、近郷志垂・宿粒・網代・谷中・石田・同本郷・菅間・向小久保・比企郡角泉・当村総て十村の鎮守なりしが、中古各村に鎮守を勧請せしより、今は唯当村と志垂村の二村鎮守とせりと云(後略)」と載せる。
現在、元禄一〇年二月の棟札と宝暦一三年に板書きされた造営記録が社蔵されている。板書には「御宮立替元禄八亥正月普請初メ願主綾部甚左衛門、御宮ぬ里替絵具細色土台石宝暦十三年未二月十三日普請初メ、御宮廻はめ板寄進川越町中西村店持衆廿三軒ニ勧化寄進、御宮前かうし戸寄進、御宮やねかや大門石橋寄進願主苻川村小沢権左衛門、御宮内ぬ里替細色願主高沢町小沢傅八願主苻川村山下清左衛門、宝暦十三年未四月十八日」とあり、今日の本殿である。
内陣内壁は、極彩色で鳳凰に竹(笹)が描かれ、騎乗八幡神像(一〇センチメートル)及び阿弥陀三尊(三センチメートルから五センチメートル)が安置されている。
拝殿に掲げる算額(市指定文化財)は当地の戸田新三郎高常の門人の上げたもので、三つの問題と解答を示し、六三名の門人名がある。
明治五年に村社となり、同二八年社殿を修築し、同三四年府川の第六天社・同白山神社を合祀した。次いで明治四一年には府川の神明神社を合祀した。
合祀した神社について、『風土記稿』に「第六天社神明社、以上二社、村内の修験吉祥院持」とあり、また白山社については「白山社 神職摂津守持」と載せている。
祀職である原家はシマビラキとも呼ばれ、当地の草分けであり、伝えに摂津より先祖が当地に来て隠棲し、地名を志を垂れるとして志垂としたという。天長年間河内摂津に大洪水があった時に、お見舞の使者を送った口碑が残り、このころの移住であろうか。(「埼玉の神社」より)
山田八幡神社所蔵の文化財
- 山田八幡神社本殿(市指定建造物)
山田八幡神社本殿
山田八幡神社は、かつては志垂・宿粒・網代・谷中・石田・同本郷・菅間・向小久保・比企郡角泉・府川の十ヶ村の鎮守でしたが、江戸時代中期には、府川村と志垂村の鎮守となったといいます。
本殿は中規模の一間社流造で、屋根はこけら葺です。全体にわたり造りは堅実で、地方色を感じさせません。装飾は蟇股・虹梁・木鼻の絵様程度で格調の高さを感じます。造営年代は棟札により元禄十年(一六九七)と判明します。また、宝暦十三年(一七六三)に板書きされた造営記録が残されています。これによれば、元禄八年正月に普請初があり、宝暦十三年にかけて屋根葺替、御宮塗替、境内の整備などの修理を行っています。修理は地元府川村や高沢町の人などが願主、川越町中店持衆二十三軒からも寄進を集めており、かなり広い信仰圏をもっていた様子がうかがえます。保守的、伝統的な造りと意匠をもった本格的な建築であり、棟札によって造営年代も判明し、川越の江戸中期を代表する神社本殿といえます。(川越市教育委員会掲示より)
山田八幡神社の周辺図