八ツ島稲荷神社。川越市八ツ島の神社

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八ツ島稲荷神社。三上山城守が、当地に定住し創建

八ツ島稲荷神社の概要

八ツ島稲荷神社は、川越市八ツ島にある稲荷神社です。八ツ島稲荷神社は、豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城した鉢形城から落ち延びた三上山城守が、当地に定住し社を祀ったといいます。

八ツ島稲荷神社
八ツ島稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 八坂神社、御嶽神社
祭日 -
住所 川越市八ツ島50
備考 -



八ツ島稲荷神社の由緒

八ツ島稲荷神社は、豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城した鉢形城から落ち延びた三上山城守が、当地に定住し社を祀ったといいます。

新編武蔵風土記稿による八ツ島稲荷神社の由緒

(八ツ島村)稲荷社
村民の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による八ツ島稲荷神社の由緒

稲荷神社<川越市八ツ島五〇(八ツ島字瀬戸町)>
当社の鎮座地である八ツ島は、川越市の東北、伊佐沼の西南に位置し、伊佐沼を水源とする九十川が南北に横断する形で流れている。
当社の創始は口碑によると、天正年間豊臣秀吉の小田原攻略の際、落城した鉢形城(寄居町)から三上山城守が当地に落ち延び、居を定めて社を祀ったことによるといい、三上氏は当地の草分けといわれる。『風土記稿』に村民持ちとあり、寺院が関与した記録はなく、また神職家も近くにないため、村の代表が管理していたと思われる。
祀職は、古尾谷八幡神社社家の宮崎家が、明治期祀職を務め、以降昭和一五年まで御嶽講の先達が祭典を執行していた。これ以後を、新井家が二代にわたって奉仕している。
祭神は、倉稲魂命であり、内陣に神璽筥を安置している。
社殿は江戸期の建立と伝えるが、改修などの記録は残っていない。なお、社殿内には獅子頭が保管されているが、その由来は不明である。
境内に八坂神社があり、素盞嗚尊が祀られている。また、社殿と並ぶ形で一段高く土を盛り上げた所に御嶽神社が祀られている。中央の御嶽神社の石碑を中心に一八基の石碑が建っており、鳥居と拝殿を備えている。この社は、元来、稲荷神社とは関係なく、近郷の御嶽講員が奉斎したもので、明治以降、稲荷神社の境内に移されたが、現在でも祭典は、御嶽講の先達が行っている。(「埼玉の神社」より)


八ツ島稲荷神社の周辺図