吉田白鬚神社。高麗郡設置に際して創祀された白髭神社の一社
吉田白鬚神社の概要
吉田白鬚神社は、川越市吉田にある白鬚神社です。吉田白鬚神社の創建年代等は不詳ながら、高麗郡が霊亀年間(715-717)に設置された際に各地に創祀された白髭神社のうちの一社ではないかと推定されています。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治45年に天沼新田字稲沢の村社稲荷神社を合祀、また地内の字伊勢山の神明社、諏訪の諏訪神社、稲荷山の稲荷神社を合祀しています。
社号 | 白鬚神社 |
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祭神 | 猿田彦命 |
相殿 | - |
境内社 | 神明社、諏訪社、稲荷社 |
祭日 | 春祈祷3月15日、秋日待10月16・17日 |
住所 | 川越市吉田192 |
備考 | - |
吉田白鬚神社の由緒
吉田白鬚神社の創建年代等は不詳ながら、高麗郡が霊亀年間(715-717)に設置された際に各地に創祀された白髭神社のうちの一社ではないかと推定されています。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治45年に天沼新田字稲沢の村社稲荷神社を合祀、また地内の字伊勢山の神明社、諏訪の諏訪神社、稲荷山の稲荷神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による吉田白鬚神社の由緒
(吉田村)
神明社
西光寺持、例祭七月廿七日、社は塚上にあり、塚の匝り凡四十間、高さ一丈餘、社邊は平坦にて十五六歩の地なり、
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稲荷社
萬久院の持、
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稲荷社
西光寺持、下の二社も同じ、
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白髭社
西光寺持、例祭九月廿九日、
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諏訪社
西光寺持、例祭七月廿七日村の鎮守なり(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による吉田白鬚神社の由緒
白鬚神社<川越市吉田一九二(吉田字宮山)>
当地は、古くは高麗郡名細村吉田という。南に小畦川が流れ、流域には縄文中期の水神遺跡がある。鎌倉期の『とはずがたり』に「昔みよし野の里と申しけるが、いつか吉田の里と名を改めらる」と残り、早くに開発された所である。当社は、霊亀年中高麗郡設置により、郡内各所に鎮守として白鬚神社が祀られた折、その一つとして奉祀されたものと考えられる。
当地の開発は、明応のころ上杉の家臣小島某が当社の所在地宮山の辺りから始め、東方の高台、堀の内へと進めたという。当時の開発には厳しいものがあったと伝えられ、今でも二メートルほど掘ると楢の木と真菰が層をなして埋まっている。
神仏習合時代に当社の別当を務めた西光寺は、小島家が入植後二代目に当たる時に建てられたと伝え、神仏分離後は吉田姓を名乗り、神職となったが、昭和二年の火災により同家は焼失した。
明治六年村社となり、同四五年に大字天沼新田字稲沢の村社稲荷神社を合祀し、続いて字伊勢山の神明社、諏訪の諏訪神社、稲荷山の稲荷神社を合祀した。
なお、稲沢の稲荷神社は、昭和一六年、出征兵士が多くなり、兵士の参拝する神社が近くにないのは不都合であるとの理由で、旧社地に新しく社殿を造り、還された。(「埼玉の神社」より)
吉田白鬚神社の周辺図