牛塚|川越地方では最大規模の前方後円墳
牛塚の概要
牛塚は、川越市にある名所旧跡です。牛塚は、7世紀初頭に築造された前方後円墳で、川越地方では最大規模だといいます。名称の由来は、後北条氏の重臣・大ハ戸の領主大道寺氏が全盛だったころ、地元民が牛の放牧に際して、亡くなった牛を埋めていたことに由来、当地周辺には数十の塚がかつてあり、的場古墳群と称しています。
名称 | 牛塚 |
---|---|
みどころ | 川越市指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 川越市的場 |
備考 | - |
牛塚の由緒
牛塚は、7世紀初頭に築造された前方後円墳で、川越地方では最大規模だといいます。名称の由来は、後北条氏の重臣・大ハ戸の領主大道寺氏が全盛だったころ、地元民が牛の放牧に際して、亡くなった牛を埋めていたことに由来、当地周辺には数十の塚がかつてあり、的場古墳群と称しています。
新編武蔵風土記稿による牛塚について
(的場村)
牛塚
三芳野の西、二町許隔て、畠中にあり、周回十四五間、高さ二三間なり、里人相傳ふ、上ハ戸の城主某全盛の日、此邊は放牛の地なりしに、その頃牛の斃セ氏を埋めし所なりと云、此外旗塚と稱するもの、及び無名の塚凡三十ばかり畠中にあり、土人もその所以を知らずと、(新編武蔵風土記稿より)
川越市教育委員会掲示による牛塚について
牛塚
牛塚は的場古墳群の主墳で、入間川左岸の標高25mの大地の上に築造されており、高さ3.75m、長さ42mの川越地方で最大の前方後円墳である。古墳の形態や出土遺物から7世紀初頭の古墳と考えられる。
主体部は横穴式石室で、築造当初の床面とそれを覆った第二次の床面がある重葬形式のものである。
出土した主な遺物は、馬具・鉄製品等で、特に第二次の床面から出土した金銅製の指輪は大変貴重なものである。(川越市教育委員会掲示より)
牛塚の周辺図