観音寺。県指定無形文化財の石原の獅子舞
観音寺の概要
天台宗寺院の観音寺は、高澤山妙智院と号します。観音寺は、長盛(寛永18年1641年寂)が開山したといいます。当寺を中心として奉納される「石原のささら獅子舞」は、埼玉県無形民俗文化財に指定されています。
山号 | 高澤山 |
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院号 | 妙智院 |
寺号 | 観音寺 |
住所 | 川越市石原町1-18-1 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 聖観音像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺は、長盛(寛永18年1641年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(小久保村)観音寺
天台宗、東叡山の末、高澤山妙智院と號す、開山長盛寛永十八年十二月朔日寂す、本尊正観音は立像にて長七寸二分、弘法大師の作、左右に百観音を安置せり。
大日堂。大日は坐像にて長一尺二寸、これも弘法大師の作なり。
辨天社。
鐘楼。鐘に享保七年の銘を彫る。(新編武蔵風土記稿より)
観音寺所蔵の文化財
- 石原の獅子舞(県指定無形民俗文化財)
石原の獅子舞
「石原のささら獅子舞」と呼ばれる川越地方を代表する獅子舞で、以前は4月17・18日に演じられていましたが、現在は4月の第3土・日曜日に行われる。(隔年で陰祭の年は日曜のみ)
慶長12年(1607)から始まると伝えられ、寛永11年(1634)川越領主であった酒井忠勝が若狭国小浜に国替えになった際に、雌雄2頭を連れ去り中断してしまったが、宝永6年(1709)に太田ヶ谷(現鶴ヶ島市太田ヶ谷)に習い再興された。
この獅子舞は一人獅子舞の系統で成人男性が演じる。曲目は12切という12の部分からなり、先獅子(雄)中獅子(雌)後獅子(雄)の3頭が軍配を持った天童に誘導され、笛太鼓に合わせたササラッコ(花笠を付けた少女4人)のささらの伴奏で舞う。なかでも、2頭の雄がかみあいを繰り返しながら雌を争う場面は、最も特色ある場面である。
本来は、17日はソロイといって練習の総仕上げをする。18日は観音寺で一庭奉納し、次に町内廻りに出て町境の高沢橋で一庭舞う。夕方になって高沢町(現在元町2丁目)の井上家の庭で一庭、その後観音寺に戻り一庭半舞い、最後に長老の歌う「千秋楽」で終わる。(川越市教育委員会掲示より)
観音寺の周辺図