観明院観音堂。川越市鴨田にある天台宗寺院
観明院観音堂の概要
天台宗寺院の観明院観音堂は、観明院観音堂の創建年代等は不詳ながら、観明院は鴨田にあった中院の門徒寺で、舜祐法印(正保4年1648年寂)が開山、大悲山弘誓寺と号し、地内に観音堂を2宇擁していました。大正2年に発行された入間郡誌では「歓明院は中院末、然れども何れも毀廢に傾けり」と記しており、当地観音堂が何れは判然としませんが、下記に転載しておきます。また、当地域にも三十三観音札所の写しがあったことが窺えます。
山号 | 大悲山 |
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院号 | 観明院 |
寺号 | 弘誓寺 |
住所 | 川越市鴨田 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観明院観音堂の縁起
観明院観音堂の創建年代等は不詳ながら、観明院は鴨田にあった中院の門徒寺で、舜祐法印(正保4年1648年寂)が開山、大悲山弘誓寺と号し、地内に観音堂を2宇擁していました。大正2年に発行された入間郡誌では「歓明院は中院末、然れども何れも毀廢に傾けり」と記しており、当地観音堂が何れは判然としませんが、下記に転載しておきます。また、当地域にも三十三観音札所の写しがあったことが窺えます。
新編武蔵風土記稿による観明院観音堂の縁起
(鴨田村)
觀明院
天台宗、仙波中院門徒、大悲山弘誓寺と號す、舜祐法印正保四年七月十日、と彫たる碑境内にあれば、これよりまへに開たるべし、本尊彌陀を安ぜり
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觀音堂
秩父札所三十三番の内、五番を擬せし觀音なりといふ
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觀音堂
是も同く三十三番の内六番を擬せし觀音なり、以上の堂は觀明院持、(新編武蔵風土記稿より)
観明院観音堂の周辺図