円乗寺。川越市上老袋にある真言宗霊雲寺派寺院

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円乗寺。名主次兵衛の娘が創建、旧悲願山圓乗坊

円乗寺の概要

真言宗霊雲寺派寺院の円乗寺は、悲願山と号します。円乗寺は、享保年間(1716-1736)に名主次兵衛が当地の塚を掘り崩した際に石棺を発掘、埋め戻したものの次兵衛は病没したしまったことから、その娘は12歳にして妙觀と名乗って出家、父を開基として悲願山圓乗坊を創建したといいます。江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿にも、大正2年発行の入間郡誌にも寺院としては記載されていませんが、昭和28年に宗教法人として登記されています。

円乗寺
円乗寺の概要
山号 悲願山
院号 -
寺号 円乗寺
住所 川越市上老袋188
宗派 真言宗霊雲寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



円乗寺の縁起

円乗寺は、享保年間(1716-1736)に名主次兵衛が当地の塚を掘り崩した際に石棺を発掘、埋め戻したものの次兵衛は病没したしまったことから、その娘は12歳にして妙觀と名乗って出家、父を開基として悲願山圓乗坊を創建したといいます。江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿にも、大正2年発行の入間郡誌にも寺院としては記載されていませんが、昭和28年に宗教法人として登記されています。

新編武蔵風土記稿による円乗寺の縁起

(上老袋村)
古塚二ヶ所
一は村の中程にあり、土人舟塚と云、されど其名づくる故は傳へず、又たまたま陶器なども此邊より掘出すと云り、想ふに古き世の人の墳墓ならんか、享保の頃名主次兵衛と云もの、己が家屋を修造せし時、此塚のもとを掘崩し、土を取んとせしに、下に一の石棺あり、其蓋石を開き見しに、太刀の朽し者などあり、又蓋石の裏に四つ目結の形を彫て、其中に朱をさせし様見へたり、是其家紋なるべけれど、今よりは何人の墳墓なるや知るべからず、いかさま故ある人なるべし、土人等うちよりかゝるものを掘出しなば、後難はかりがたしとて、元の如く埋めをき、明神と崇めしかど、其祟にやありけ、彼次兵衛は其まゝ病にかゝれり、因て次兵衛の女十二歳になりしが、父の病苦を悲しみ歎きの餘り、因果の理を開悟し、菩提の道に入薙染し、妙觀と名乗り供養の爲として村内に庵室を結び、其父をもて開基とせり、此庵今も村内に在て、悲願山圓乗坊と云、江戸湯島靈雲寺の預りなれど、一寺院と云ふ程のことにはあらずと云、一はすくも塚と云、これは例の塵芥を掃集し塚なるべし(新編武蔵風土記稿より)


円乗寺の周辺図