栄林寺。川越城主酒井備後守忠利の伯母が開基
栄林寺の概要
曹洞宗寺院の栄林寺は、雲興山と号します。栄林寺は、川越城主酒井備後守忠利の伯母玉寳榮琳大姉(慶長5年1600年寂)が開基となり、巻岑文舒(寛永17年1640年寂)を勧請開山として、二世嶺室文雪が開創したといいます。
山号 | 雲興山 |
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院号 | - |
寺号 | 栄林寺 |
住所 | 川越市末広町1-7-1 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
栄林寺の縁起
栄林寺は、川越城主酒井備後守忠利の伯母玉寳榮琳大姉(慶長5年1600年寂)が開基となり、巻岑文舒(寛永17年1640年寂)を勧請開山として、二世嶺室文雪が開創したといいます。
新編武蔵風土記稿による栄林寺の縁起
(寺井宿・寺井松郷・寺井伊佐沼)永林寺
寺井松郷分にあり、禅宗洞派、近江國栗太郎浮気村源昌寺の末、興雲山と號す、開山巻岑文舒寛永十七年九月廿六日示寂、開基は玉寳榮琳大姉慶長五年八月六日卒す、酒井備後守忠利の伯母なり、されど其實は慶安三年五月三日に寂せし當寺の二世、嶺室文雪が草創にて、己は其任に當らず、彼巻岑文舒を勧請して、開山とせしと寺僧は傳へり、本尊釋迦を安ぜり、寛永十一年酒井讃岐守忠勝家臣よりの舊記、今當寺に残れり。
天照太神第六天白山権現合殿社、秋葉社、稲荷社。以上三社は慶安三年の勧請なり。(新編武蔵風土記稿より)
栄林寺所蔵の文化財
- 安井成章墓(市指定史跡)
安井成章墓
安井成章は天明七年(一七八七)七月川越で生まれ、安井久道に養われ安井姓となる。通称与左衛門または珍平といった。幼くして儒学を学ぶと共に、槍術の宝蔵院流師範となる。松平大和守斉典の家臣で、川越藩の郡奉行をつとめ、二百石を給せられ、治水、開墾、植林などに多くの功績を残した。
ことに弘化二年(一八四五)比企郡川島領の堤防が二度も決壊し、領民が大いに苦しんだとき、藩主の命で四三ヵ村、一五〇余町の間で土手を築き、多年の水害の災いから藩民を免れさせた。
嘉永六年(一八五三)六月一九日、病のため齢六七歳で没した。(川越市教育委員会掲示より)
栄林寺の周辺図