小谷場稲荷神社。川口市小谷場の神社

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小谷場稲荷神社。川口市小谷場の神社

小谷場稲荷神社の概要

小谷場稲荷神社は、川口市小谷場にある稲荷神社です。小谷場稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、小谷場が村落として安定した江戸時代初期に祀られたのではないかといいます。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治45年字西ノ妻の第六天社、字道下の子ノ神社、字台の山王社を合祀しています。

小谷場稲荷神社
小谷場稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 保食命
相殿 -
境内社 春日社、天神社、大六天社、子大権現、山王大権現
祭日 例大祭2月初午、宮薙祭7月16日、日待祭10月15日
住所 川口市小谷場957
備考 -



小谷場稲荷神社の由緒

小谷場稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、小谷場が村落として安定した江戸時代初期に祀られたのではないかといいます。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治45年字西ノ妻の第六天社、字道下の子ノ神社、字台の山王社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による小谷場稲荷神社の由緒

(小谷場村)
稲荷神社
村の鎮守なり、養福寺持。
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第六天社
末社。天満宮。
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山王社
西福寺持(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による小谷場稲荷神社の由緒

稲荷神社<川口市小谷場九五七(小谷場字台)>
保食命を祭神とし、小谷場の鎮守として祀られてきた当社は、大宮台地南端に位置する「岡の台」と呼ばれる小高い丘の上に鎮座している。この岡の南側の低地には、かつては広々とした水田が広がっており、当社はそれを望む位置にあることから、恐らくは小谷場の村が、水田耕作を中心とした村落として安定し始めた江戸時代初期に、耕地の安泰を願って勧請されたものと思われる。
『風土記稿』小谷場村の項に「稲荷社村の鎮守なり、養福院持」とあるのが当社のことで、内陣には「本宮正官 羽倉摂津守」と墨書された神璽筥が安置されている。この神璽筥には年紀がないため、いつのものかははっきりしないが、墨書から京都の伏見稲荷大社から分霊されたものであることがわかる。また、『風土記稿』の記事に見える養福院は、蕨宿三学院の末派に当たる真言宗の寺院で、当社の三〇〇メートルほど南方にあったが、神仏分離の後、明治四年に廃寺となり、今ではその跡さえなくなっている。
一方当社は、神仏分離の後は明治六年四月に村社になり、同四十五年六月には政府の合祀政策に従って字西ノ妻の第六天社、字道下の子ノ神社、字台の山王社を合祀した。この三社は各々『郡村誌』にも記載のある神社であり、古くから当社の末社として祀られてきた春日・天神の両社と共に、当社の社殿の脇に社殿を設けて祀られている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


小谷場稲荷神社の周辺図