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横曽根神社。川口市南町の神社、旧横曽根村鎮守、旧村社

横曽根神社の概要

横曽根神社は、川口市南町にある神社です。横曽根神社は、横曽根村鎮守の氷川神社と、南町八幡神社が八幡神社の地に昭和48年合併して横曽根神社となったといいます。氷川社は応永年間(1394-1428)の創建、八幡社は文明7年(1475)に宥鎮和尚が荒川堤外に創建した吉祥院の守護神として創建したといいます。

横曽根神社
横曽根神社の概要
社号 横曽根神社
祭神 素盞鳴尊、応神天皇
相殿 伊弉諾尊・伊弉冉尊・大物主命・徳川家康公
境内社 -
祭日 -
住所 川口市南町1-15-10
備考 -



横曽根神社の由緒

横曽根神社は、横曽根村鎮守の氷川神社と、南町八幡神社が八幡神社の地に昭和48年合併して横曽根神社となったといいます。氷川社は応永年間(1394-1428)の創建、八幡社は文明7年(1475)に宥鎮和尚が荒川堤外に創建した吉祥院の守護神として創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による横曽根神社の由緒

(横曽根村)氷川社
村内の鎮守なり。
末社。稲荷社
別当東福院。
本山修験。中尾村玉林院配下。本尊不動を安ず。開山を了密と云。
八幡社二宇
何れも吉祥院持(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による横曽根神社の由緒

当社は古くは氷川社、戦後の宗教法人法施行後は宮町氷川神社、昭和四十二年三月に横曾根氷川神社と名称変更し、昭和四十八年には南町八幡社との合併により横曾根神社となった。
氷川社は応永年間(一三九四‐一四二八)の創建と伝え、『風土記稿』に「氷川社、村内の鎮守なり、末社、稲荷社、別当東福院、本山派修験、中尾山玉林院配下、本尊不動を安ず(以下略)」とある。
一方、南町の八幡社については、旧別当吉祥院で所蔵する享和二年(一八〇二)の「当院中興秀寛遣状」の四十九か条の内に所載の条目が見え、それをまとめると次のような要旨となる。
室町期の長禄年間(一四五七-六〇)に太田道灌が江戸城西ノ丸築城の際に北方の守護神として安置した毘沙門天を、文明七年(一四七五)に宥鎮和尚が当地に勧請し、これを本尊として吉祥院を開基した。往時は荒川堤の外に堂を構えていた。慶長十九年(一六一四)夏の雷火により伽藍・楼門に至るまで焼失し、その折に本尊毘沙門天は火中から飛び出て寺の守護神の八幡社の所で止まった。その後、吉祥院は今の地に移ったが、八幡社はそのまま堤外に残された。明暦二年(一六五六)夏の洪水により八幡社は堤の内に押し流されて今の地に着いた。この止まった地に新たに八幡社を勧請し、以後堤の外と内に二社の八幡社が吉祥院の守護神として祀られるようになったという。
これに見える堤の内の八幡社が南町の八幡社である。社伝によれば太田道灌が江戸城西ノ丸築城の際、北方の守護神として祀られたというが、この伝承は別当吉祥院の本尊の由来に基づいて語られたもので、元来は吉祥院の守護神として祀られていたことがわかる。
明治初年の神仏分離により別当から離れた氷川社と八幡社は、明治六年に氷川社が村社、八幡社が無格社となった。『明細帳』によれば明治四十年六月十四日付で、南町八幡社及び境内社三峰社・同稲荷社と字堤外の八幡社の計四社が宮町の氷川社に合祀された。しかし、実際は南町の八幡社社殿はそのまま残り、その後の祭りも存続した。また、字堤外の八幡社も残ったが、明治四十年・同四十三年の二度の大水の度に南町の八幡社に神体が流れ着いたことから、「八幡様がここに来たいのであろう」との氏子の配慮により同社の欅の根元に祀られるようになった。往時の社地は川口西中学校の南隅である。
昭和四十年代に入ると、氷川社の周辺には工場が建ち並び、騒音が境内に響き、塵灰が境内一杯に渦巻くなど、境内の神々しさはすっかり失われていた。また鎮座地が氏子区域の南端にある上、周囲の建造物が参道の入口を分かりにくくしており、氏子のお参りに著しい支障を来していた。この問題は、昭和四十一年に竹本美佐男が宮司に就任して以来、懸案事項として氏子の間で話し合われていた。
一方、合祀となっていた南町の八幡社は、地元南町の強い要望で、昭和四十四年に分離独立した。
氷川社の懸案事項は、社地の移転という方法で解決すべく検討が重ねられ、川口駅-西川口駅間のバス路線でもある環状線沿いに鎮座する南町の八幡社を社地とすることが氏子の総意で決定し、昭和四十八年両社の合併により横曾根神社が設立された。
かつての氷川社は鎮守の杜にふさわしい社叢をなし、村外れからでもそれとわかるほどであった。
一方、かつての南町の八幡社は、今とは正反対の東向きに鎮座し、社殿と並ぶように社務所を併設していた。
両社の合併後、旧横曾根村全域から寄せられた浄財により、およそ一か年を要して新たに社殿と神社会館が造営された。鉄筋コンクリート造りの二階建てで、一階に社務所、二階に社殿を配し、狭小な境内ながらも荘厳な神殿である。
主祭神は素盞鳴尊と応神天皇の二柱で、合祀神は伊弉諾尊・伊弉冉尊・大物主命・徳川家康公である。内陣には、県内でも数少ない僧形八幡神像をはじめとする五体の木像を安置する。
神仏分離以降の祀職は、両社共に飯塚町の横田家が永く務めていたが、昭和四十一年に氷川社総代の神保正晴・中村幸作らの要請により当時川口神社の禰宜として奉職していた竹本美佐男が宮司に就任し、現在に至っている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


横曽根神社の周辺図


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