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元郷氷川神社。川口市元郷の神社

元郷氷川神社の概要

元郷氷川神社は、川口市元郷にある氷川神社です。元郷氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地一帯を領有していた岩槻太田氏の家臣平柳蔵人(国府台の合戦で永禄7年1564年討死)が大宮氷川神社を勧請したと伝えられ、四ノ宮氷川大明神・四郎ノ宮と称されていたといいます。元和8年(1622)荒川堤そばから当地へ遷座、江戸期には元郷村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し明治8年村社に列格、明治40年弥兵衛新田の稲荷社や新井方の稲荷社など諸社を合祀しています。

元郷氷川神社
元郷氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚命
相殿 -
境内社 -
祭日 例大祭10月第3土日
住所 川口市元郷1-30-2
備考 -



元郷氷川神社の由緒

元郷氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地一帯を領有していた岩槻太田氏の家臣平柳蔵人(国府台の合戦で永禄7年1564年討死)が大宮氷川神社を勧請したと伝えられ、四ノ宮氷川大明神・四郎ノ宮と称されていたといいます。元和8年(1622)荒川堤そばから当地へ遷座、江戸期には元郷村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し明治8年村社に列格、明治40年弥兵衛新田の稲荷社や新井方の稲荷社など諸社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による元郷氷川神社の由緒

(元郷村)
氷川社
村の鎮守なり。四郎ノ宮と称す。其故を知らず。昔平柳蔵人霊夢の告によりて、大宮町の氷川を勧請せしと云。本地正観音は蔵人が守護佛にて運慶の作なりと云。当社は荒川の堤際にありしを、元和8年9月水難を避て今の地へ移せしと云。
末社。
稲荷社、疱瘡神社、牛頭天王社。
別当。仙学院。当山派修験、江戸鳳閣寺の配下なり。開山龍蔵坊、寛永年中より当社を司れり。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による元郷氷川神社の由緒

氷川神社(川口市元郷一-三〇-二)
元郷村は、平柳領一五か村の本村で古くは平柳村と称していた。岩付太田氏の家臣平柳蔵人が当地に居住しこの辺り一帯を領したとされ、村名はこの領主名に由来する。平柳蔵人は天文十六年(一五四七)十二月十四日の上杉憲当書状に比える平柳蔵人佑と思われ、永禄七年(一五六四)に国府台(現千葉県市川市)の戦で討死を遂げている。その館は元郷四丁目の南平公民館元郷分館の辺りにあったとされる。
当社は別名「四の宮」あるいは「四郎の宮」と呼ばれていた。由来は明らかでないが、宝永四年(一七〇七)の「四ノ宮氷川大明神」と書かれた社号額が現存する。『風土記稿』によれぽ、平棚蔵人が霊夢の告げにより大宮町の氷川神社を勧請したもので、本地正観音は蔵人の守護神で運慶の作であった。荒川の堤のそばにあった当社を元和八年(一六二二)に水難を避けて今の地に移した。別当は江戸青山鳳閣寺配下の本山派修験仙学院で、開山の竜蔵坊が寛永年中(一六二四-四四)から祭祀を司ったという。現在、本地正観音は社務所の一角にあり、台座に宝永四年に作られた旨が記される。
明治八年に村社となり、同四十年には大字弥兵衛新田の村社稲荷社や大字新井方の村社稲荷社などの多くの社が合祀された。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


元郷氷川神社の周辺図