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金剛寺。川口市安行吉岡にある曹洞宗寺院

金剛寺の概要

曹洞宗寺院の金剛寺は、富雙山と号します。金剛寺は、中田安斎入道安行(法名富雙隣雄居士)が開基となり、龍穏寺七世雪庵良筠和尚を開山に迎えて明応5年に創建したといいます。開基中田安斎入道安行の名前から当地が「安行」と呼ばれるようになったといいます。寛永19年(1642)三代将軍德川家光より寺領十石の御朱印状を拝領、近隣に十数ヵ寺の末寺を擁する中本寺格の寺院でした。約200年前に当山十九世海牛禅師により始められた灸施寮は有名で、現在も「お灸の金剛寺」と称されるといいます。北足立八十八ヵ所霊場43番です。

金剛寺
金剛寺の概要
山号 富雙山
院号 -
寺号 金剛寺
本尊 釈迦牟尼佛像
住所 川口市安行吉岡1361
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 北足立八十八ヵ所霊場43番



金剛寺の縁起

金剛寺は、中田安斎入道安行(法名富雙隣雄居士)が開基となり、龍穏寺七世雪庵良筠和尚を開山に迎えて明応5年に創建したといいます。開基中田安斎入道安行の名前から当地が「安行」と呼ばれるようになったといいます。寛永19年(1642)三代将軍德川家光より寺領十石の御朱印状を拝領、近隣に十数ヵ寺の末寺を擁する中本寺格の寺院でした。約200年前に当山十九世海牛禅師により始められた灸施寮は有名で、現在も「お灸の金剛寺」と称されるといいます。

新編武蔵風土記稿による金剛寺の縁起

(吉岡組)金剛寺
曹洞宗、入間郡龍ヶ谷村龍穏寺の末なり、寺領十石を寛永十九年御朱印を賜ふ、富雙山と號す、本尊は釈迦文殊普賢の三像を安ず、當寺は明応五年中田安斎入道安行開基す、此人法謚を富雙隣雄居士と稱せり、卒年を傳へず、開山雪庵良筠和尚は本寺七世の僧にて、天文十三年十月廿八日寂す。
寺寶、古文書二通。此文書に掾ても昔よりしかるべき寺院なること知るべし、其文左にのす。
(文書中略)
衆寮。
鐘楼。安永六年鋳造の鐘を掛く。
白山堂、天神社。
薬師堂、行基の作なる薬師を安ず。
経塚。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県掲示による金剛寺の縁起

金剛寺は、曹洞宗の寺で、明応五年(1496)に中田安斎入道安行が開基したと伝えられ、寺名も安行が金剛経を信奉していたことに由来している。
この寺は、かつては僧侶修行道場の格式をもっていたが、現在では「お灸の寺」として広く知られている。
ここの墓地には、「安行苗木開発の祖」として知られている吉田権之丞の墓がある。小松石で作られた舟形の墓石で、棹石の高さ六七・五センチメートル、幅三二センチメートルで中央に観音立像が肉彫され、向って左側に「元禄十六癸未年七月朔日」右側に法名の「蔭清禅定門」と刻まれている。
吉田権之丞の人となりについては、文献等の資料がないのではっきりしないが、言い伝えによると、権之丞は、若い時から草花や盆栽に趣味を持ち、珍しい草木を集めてこの地に栽培したところ、土質・風土が適合し、その成育がよかったので、これらの苗木の育成に当ったという。権之丞の子孫である吉田家は、現在も安行地区で植木業を営んでいる。(埼玉県掲示より)

境内掲示による金剛寺の縁起

当寺は曹洞宗に属し、山号を富雙山と称し、入間郡越生町龍穏寺(関三刹)の末寺である。室町時代の中頃、明応五年(1496)に、当時この地方を支配していた豪族中田安斎入道安行により開創された。この人物の名が、当地「あんぎょう」の地名になったと伝えられている。
「縁起」によると、当時戦乱の世にて中田氏自身も多くの人々を殺傷し、その罪業に毎夜苦しんでいた。たまたま当地を行脚していた禅僧に出会い、その教えに従って吉岡の地に草庵を結び、金剛般若経をよりどころとして供養し、その苦しみから救われたという。
この縁により仏門に帰依し、この地に伽藍を造営し、その禅僧(龍穏寺七世節庵良筠禅師)を開山とし、自らは開基となり、寺名は金剛経に求め金剛寺とし開創した。江戸時代に至ると、寛永十九年(1642)三代将軍家光より御朱印十石を賜わり、門派は十数ヵ寺に及んだ。
堂宇は戦後縮小改築されたが、山門は約400年前に構築されたもので、桃山様式を取り入れた四足門で、市内最古の棟門である。また、墓地には県指定旧跡「安行苗木開発の祖 吉田権之丞の墓」がある。約200年前に当山十九世海牛禅師により始められた灸施寮は有名で、現在も「お灸の金剛寺」として広く人々に親しまれている。(境内掲示より)


金剛寺所蔵の文化財

  • 金剛寺山門(川口市指定文化財)
  • 金剛寺の経塚(川口市指定文化財)

金剛寺山門

後に控柱を2本ずつ、左右あわせて4本立てた典型的な一間一戸の「四脚門」です。屋根は切妻造りの茅葺、基壇上の自然玉石に円柱を配し、控柱は方柱、斗栱は簡略化されていますが、反りのある化粧棰、絵様付き実肘木、木鼻等の渦文は古式のもので、天井は鏡天井です。棟飾りは九条の棟押えと側面2本ずつの押えで、地域的な特色が見られます。
山門の桁行は3.030m(10尺)、梁間は3.333m(11尺)、棟高は6.666m(22尺)、面積10.09㎡(3.056坪)を測ります。また、元は組もの部分が朱色、他は黒色の彩色が施されていたことから、「金剛寺の黒門」と呼ばれていました。
大正12年(1923)に発生した関東大震災の後、棰を2本取替える修理を行い、その後、本堂の修理の際に左右の袖を取り外して現在の姿になっています。(川口市教育委員会掲示より)

金剛寺の経塚

当経塚は金剛寺の縁起にまつわる遺構である。当寺開山節庵良筠禅師と開基中田安斎入道安行との逸話と経塚造築のいきさつは、当遺構の前に立てられている「経塚」銘の石碑に詳しく記されている。
これを読むと、当経塚は末法思想に基づいて造られた一般的な事例とは異なり、非常に特異な由来をもつものであることがわかる。特に当寺の縁起と深い結びつきを有することは、川口市にとって非常に数の少ない中世の文化を今に伝える貴重な文化遺産といえよう。
当経塚は、平成四年十月から平成五年三月にかけて川口市教育委員会により発掘が実施され、形状や構造が詳しく調査された。その結果、下のプレートに示すように、他に類例を見ない特異な形態を有する経塚であることが判明した。
なお平成六年八月、川口市指定文化財(種別:記念物 種類:史跡)に指定された。(境内掲示より)


金剛寺の周辺図


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