傑伝寺。酒井讃岐守忠勝、武州川口七福神の恵比須神
傑伝寺の概要
曹洞宗寺院の傑伝寺は、天桂山理應院と号します。傑伝寺は、永平寺二十六世英峻萬照(高國禅師、延宝2年寂)が開山、酒井讃岐守忠勝(法名傑傳長英、寛文2年卒)が開基となり、寛文4年創建したといいます。武州川口七福神の恵比須神です。
山号 | 天桂山 |
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院号 | 理應院 |
寺号 | 傑伝寺 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
住所 | 川口市東本郷1506 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 武州川口七福神の恵比須神 |
傑伝寺の縁起
傑伝寺は、永平寺二十六世英峻萬照(高國禅師、延宝2年寂)が開山、酒井讃岐守忠勝(法名傑傳長英、寛文2年卒)が開基となり、寛文4年創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による傑伝寺の縁起
(本郷村)傑傳寺
禅宗曹洞派、越前国永平寺末、天桂山理應院と號す、本尊釈迦を置。當寺は寛文四年の草創にして、開山英峻萬照は本寺二十六世の住持にて、高國禅師と云、延寶二年四月十二日化す、開基酒井讃岐守忠勝なりと云、されど此人寛文二年七月十二日卒したれば、草創の年代齟齬せり、思ふに忠勝が追福の為起立せしなるべし、法名傑傳長英と云、當寺境内は古太田道灌が築きし壘跡なりと云、少しく高き所にして廣さ六千坪許南の方に表門あり、此所古の追手口なるべし、境内の図左に出せり、
寺寶。
弓一張。重藤にて九分餘。
杖一本。竹を以て製し中に鐵を入、上は藤にて巻けり。長三尺七寸、重さ二貫五百目餘、此寺寶は鶴見内蔵助秀冶の納る所にして、則此人常に用ひし物なるよし朱を以て書したり、秀冶は備中國松山の城主水谷某に奉仕せしが、後致仕して當寺に来り住せり、尤力量ありし人なりと云、卒年詳ならず、按に水谷伊勢守勝隆寛永十六年松山の城主たりといへば、勝隆が時につかへしや、尤水谷家三代の城主たり。
稲荷白山石神井合社、境内の鎮守とす。
山門。
鐘楼。寛文四年の鐘をかく。
衆寮。
遊龍橋。北の方から堀に架せる土橋なり。寺僧の傳に云。寛文四年七月此橋上に小なる虫出て遊べるさまなりしが、俄に雲起り彼虫雲に乗じて、新里村の内毛長沼の方へ行と見えしが、やがて大雨降来りしことあり、是よりして遊龍の名を得たりと云。(新編武蔵風土記稿より)
傑伝寺の周辺図