実相寺。中山法華経寺三世日祐上人草創
実相寺の概要
日蓮宗寺院の実相寺は、本覚山と号します。実相寺は、中山法華経寺三世日祐上人貞治年間(1362-1367)が草庵を営み、その高弟日通上人(俗称本間五郎重元の孫)が明徳2年(1391)一寺として創建したと伝えられます。
山号 | 本覚山 |
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院号 | - |
寺号 | 実相寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 川口市領家2-14-11 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 実相寺会館鷲峰殿 |
備考 | - |
実相寺の縁起
実相寺は、中山法華経寺三世日祐上人貞治年間(1362-1367)が草庵を営み、その高弟日通上人(俗称本間五郎重元の孫)が明徳2年(1391)一寺として創建したと伝えられます。
新編武蔵風土記稿による実相寺の縁起
(領家村)実相寺
前と同末(下総国葛飾郡中山法華経寺)、本覚山と号す。貞治年中本山の三世日祐起立す。当時は法華堂と呼で一寺と云ほどのことにはあらず。其後一寺となりしは明徳2年2月のことなり。開山は日通と号す。此僧俗姓は本間氏にして、六郎左衛門重連が二男五郎重元が孫なりと云。本尊は古碑にして中央に三宝と彫り、貞治2年6月日と記せり。是則法華堂と唱へし頃よりの本尊にして、近き頃弥兵衛新田村にて穿出し、当寺へ納めしものなりと云。按に当寺を貞治年中起立と云もの、此碑によりて付会せしなるべし。
三十番神堂。村の鎮守なり。往古は荒川堤の南にありしと云。
祖師堂。祖師は本寺の開山、日常が作なりといふ。
妙正神社。
鐘楼。宝暦7年新造の鐘を掛く。
塔中。
円受院、本尊は鬼子母神にて、これを植髪の鬼子母神と号す。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による実相寺の縁起
当山は本覚山実相寺と号し、今をさること約650年前(貞治二年・1363年)に、日蓮宗祈祷根本道場である大本山中山法華経寺第三世日祐上人を開山と仰ぎ、その高弟、日通上人によって開かれました。
大本山をささえる四天王の一角を占めた格式を誇る名刹で、往時には末寺十数箇寺を数えた伝えられております。
祈祷道場としても名高く江戸城大奥の侍女たちの髪で造立された「植髪鬼子母神(うえがみきしぼじん)」様を祈祷本尊としておまつりしております。
江戸幕府との関係は特に深いものがあります。三代将軍徳川家光公が鷹狩の折り、にわかに病を発せられ、当山にご来臨。当時、法力無双と称せられていた第十六世日逞上人のご祈祷により平癒されました。この功績により、御朱印三十石を御下賜、「八丁権現」の別称、ならびに御成門の建立を許されました。
毎年11月第3日曜日に行われる御会式(おえしき)の際には、江戸時代からの万灯行列が、現在でも続けられております。川口市のお祭り、風物詩として、多くの方々の参詣でにぎわっております。(境内掲示より)
実相寺の周辺図