長楽氷川神社。比企郡川島町長楽の神社

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長楽氷川神社。宇津木兵庫進・榎本四郎左衛門が創建

長楽氷川神社の概要

長楽氷川神社は、比企郡川島町長楽にある神社です。長楽氷川神社は、小田原北条氏の代官だった宇津木兵庫進が、榎本四郎左衛門と共に帰農、産土神として慶長2年(1597)武蔵国一の宮氷川神社を勧請、長楽村の鎮守社として祀られてきました。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年字権現堂無格社東照神社を合祀しています。

長楽氷川神社
長楽氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 東照権現・熊野権現・秋葉権現合殿、御嶽・天神合殿
祭日 例祭4月12日、天王様7月22日
住所 比企郡川島町長楽255
備考 -



長楽氷川神社の由緒

長楽氷川神社は、小田原北条氏の代官だった宇津木兵庫進が、榎本四郎左衛門と共に帰農、産土神として慶長2年(1597)武蔵国一の宮氷川神社を勧請、長楽村の鎮守社として祀られてきました。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年字権現堂無格社東照神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による長楽氷川神社の由緒

(長楽村)
氷川社
村の鎮守なり、寶蔵寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による長楽氷川神社の由緒

氷川神社<川島町長楽二五五(長楽字柳原)>
鎮座地である長楽という地名は、長いものの意で、河川を表す古名である。当地においては、都幾川並びに越辺川を示すのであろう。殊に中世、長楽は、都幾川からの用水取り入れ口に当たり、ここから近隣の戸守郷・尾美野郷・八林郷などに通水を行っていた。
社伝によると、天文から天正年間にかけて、当地は北条氏代官の宇津木兵庫進が支配した。しかし、天正十八年(一五九〇)に北条氏が滅亡したため武門を退き、榎本四郎左衛門なる者と共に帰農した。
慶長二年(一五九七)八月一日、両氏は、産土神として社殿を建立し、治水安泰の神として民衆に知られていた武蔵国一の宮氷川神社を勧請した。その後、貞享元年(一六八四)、次いで享和元年(一八〇一)に社殿の再建を行い、文化二年(一八〇六)には拝殿を造営している。
『風土記稿』によると、「村の鎮守なり、宝蔵寺持」とある。宝蔵寺は天台宗で、明治初年の神仏分離令発令まで、当社の祭祀法楽を司っていたと伝えられる。
明治四年に村社となり、同四十年二月には字権現堂無格社東照神社を合祀している。昭和四年四月に、覆屋・幣殿・拝殿を改築し、更に同二十三年四月には、社務所を建設している。なお、この社務所は平成二年に集落センターとして再建され現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


長楽氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)