上八ッ林氷川社。道祖土氏の居館近くに鎮座、旧八ツ林郷の総鎮守
上八ッ林氷川社の概要
上八ッ林氷川社は、比企郡川島町上八ッ林にある神社です。上八ッ林氷川社の創建年代等は不詳ながら、天文6年(1537年)の松山合戦で活躍した道祖土氏の居館近くに鎮座、慶安年間(1648-1652)に分村したに八ツ林・畑中・大塚三村からなる八ツ林郷の総鎮守ともいわれ、寛文元年(1661)八ツ林が上・下に分村した後は上八ツ林村の鎮守として祀られていました。
社号 | 氷川社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 八幡社、天神社 |
祭日 | 春祭り2月28日、例祭4月15日、お灯籠7月17日、秋祭り11月28日 |
住所 | 比企郡川島町上八ッ林854 |
備考 | - |
上八ッ林氷川社の由緒
上八ッ林氷川社の創建年代等は不詳ながら、天文6年(1537年)の松山合戦で活躍した道祖土氏の居館近くに鎮座、慶安年間(1648-1652)に分村したに八ツ林・畑中・大塚三村からなる八ツ林郷の総鎮守ともいわれ、寛文元年(1661)八ツ林が上・下に分村した後は上八ツ林村の鎮守として祀られていました。
新編武蔵風土記稿による上八ッ林氷川社の由緒
(上八ツ林村)
氷川社
村の鎮守なり、觀音寺持、
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天神社
極楽寺持、
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八幡社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による上八ッ林氷川社の由緒
氷川神社<川島町上八ツ林八五四(上八ツ林字宮ヶ谷戸)>
上八ツ林の鎮守として組られている当社の境内には、樹齢三〇〇年を越える神木の欅が大きく枝を広げている。この棒は、樹高が約四〇メートルもあり、昭和五十五年に行われた埼玉県主催の「県の木指定十五周年記念 欅コンクール大木の部」で表彰されるほどの立派なもので、当社の象徴である。このほか、昭和三十三年まで、境内には小高い塚があり、石宮(社名不詳)が祀られていた。この塚の頂と社殿の裏手にも大きな欅が茂っていたが、社務所を建設するために、欅は伐採さて、塚は崩され(出土品はなし)、当社の景観は随分変わった。
当社の創建について、『比企郡神社誌』は、「勧請年度未詳なるも御扉金具に延宝六戊午年(一六七八)十一月吉日に法主文良による寄進の文字ありおそらく再建の時のものならん、大宮町(現大宮市)高鼻鎮座氷川神社の御分霊と伝う」と記している。しかし、現在の御扉金具には「延宝六年」の文字は発見できない。『比企郡神社誌』の記事は、昭和二年に改築される前の史料に従ったものであろうか。
『風土記稿』にも記されているように、江戸時代、当社は観音寺の持ちであった。現在の社務所の所にあり、観音寺は真言宗の寺院で、昭和三十三年までその堂宇が残っていた。また、昭和十七年までは、梵鐘もあり、大晦日や区の集会を知らせる時などに鳴らしたものであったが、太平洋戦争の激化により、国に供出してしまった。(「埼玉の神社」より)
上八ッ林氷川社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)