加須千方神社。加須市中央の神社

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加須千方神社。下野鎮守府将軍修理太夫千方を祀る社

加須千方神社の概要

加須千方神社は、加須市中央にある千方神社です。加須千方神社の創建年代等は不詳ながら、藤原秀郷の六男で下野鎮守府将軍だった修理太夫千方を祀り、江戸期には加須村の鎮守社となっていました。明治5年村社に列格、明治7年稲荷・浅間・諏訪・八坂社を合祀、大正2年に千方社を千方神社に改称しています。

加須千方神社
加須千方神社の概要
社号 千方神社
祭神 興玉命
相殿 -
境内社 八坂社、稲荷社、恵比須大黒神社、浅間
祭日 夏越祭り7月、熊手市12月19日
住所 加須市中央1-2-4
備考 -



加須千方神社の由緒

加須千方神社の創建年代等は不詳ながら、藤原秀郷の六男で下野鎮守府将軍だった修理太夫千方を祀り、江戸期には加須村の鎮守社となっていました。明治5年村社に列格、明治7年稲荷・浅間・諏訪・八坂社を合祀、大正2年に千方社を千方神社に改称しています。

新編武蔵風土記稿による加須千方神社の由緒

(加須村)
千方社
村の鎮守なり、大聖院の持、下同じ、
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諏訪二社
浅間社
稲荷社
八幡社
牛頭天王社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による加須千方神社の由緒

千方神社<加須市中央二-五-二七(加須市字康良居)>
千方神社の名は、その祭神である修理太夫千方(藤原秀郷の六男で鎮守府将軍。社伝によれば、この地方で仁政を行った功績を讃えて祀ったものという。)に由来するが、現在祭神は興玉命となっている。かつては千方社と称し、大聖院の持ちであったが、神仏分離によりその管掌を離れ、明治五年に村社となり、同七年には稲荷社・浅間社・諏訪社・八坂社を合祀している。大正二年五月二日に社名を現行の千方神社に改め、同年一〇月より着工した社殿改築工事も、同七年一一月に完成し、盛大に遷宮式が挙行された。
境内は加須駅近くの市街地にあり、一二九〇坪と広いことから、数年前から公園化が進められており、ベンチ・東屋・水飲み場なども設置され、市民の憩いの場となっている。
また、その一角には、昭和三一年市指定文化財となった「石敢當」と刻まれた石碑がある。石敢當は中国の習俗の伝播とされ、日本では、沖縄・九州地方に多く見られるが、関東地方では極めて珍しいものである。一般に石敢當は、道の突き当たりや、辻の一角に魔除けとして立てられるものであるが、当地においては、加須町の青縞取り引きの市の守護神として、文化一四年、当地の碩学穂積恭が五十市の村部の世話人と共に建立したものである。古くは加須本通りの北側に祀られていたが、昭和二九年当社境内に移された。(「埼玉の神社」より)

「加須市の神社・寺院」による加須千方神社の由緒

当神社の創建年月日は明らかでない。社伝によれば下野鎮守府将軍修理太夫千方を祀ったと伝えられている。『風土記』によれば加須村の鎮守で、大聖院持ちとされている。
明治五年(一八七二)五月、神仏分離に伴う社格の制度化によって村社に列し、同七年中には、稲荷・浅間・諏訪・八坂(旧称牛頭天王社を改称したもの)の無格社を合祀している。大正二年(一九一三)五月二日には、千方社を千方神社に改称している。同年十月九日には、本殿・拝殿の改築許可を得て建築に着手、大正七年十一月二十九日には全設備の完成により盛大な遷宮式を挙行した。下って昭和六年(一九三一)九月十六日には、神饌幣帛料供進神社の指定を受けている(「加須市の神社・寺院」より)


加須千方神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)
  • 「加須市の神社・寺院」