常泉御嶽社。水の神として御嶽社を創祀
常泉御嶽社の概要
常泉御嶽社は、加須市常泉にある御嶽社です。常泉御嶽社の創建年代等は不詳ながら、当地には常に湧き出る豊かな泉があったことから、地名を常泉とし、水の神として御嶽社を祀ったといいます。明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治32年に神明社を合祀しています。
社号 | 御嶽社 |
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祭神 | 大山祇命、大己貴命、少彦名命 |
相殿 | 大日孁貴命 |
境内社 | 稲荷社二社 |
祭日 | 元旦祭・春祭り4月15日 |
住所 | 加須市常泉31-1 |
備考 | - |
常泉御嶽社の由緒
常泉御嶽社の創建年代等は不詳ながら、当地には常に湧き出る豊かな泉があったことから、地名を常泉とし、水の神として御嶽社を祀ったといいます。明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治32年に神明社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による常泉御嶽社の由緒
(常泉村)
御嶽社
神明社
以上二社、村の鎮守にて、圓福寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による常泉御嶽社の由緒
御嶽社<加須市常泉三一(常泉字見竹)>
当社は、常泉の見竹耕地に鎮座する。常泉の地名は、当地に村を潤す豊かな泉があり、常の文字が永久不変を表すところから、涸れることなく湧き出す泉をたたえて名付けられたという。
里人は、この豊かな泉をもたらす遥かなる山々に神威を感じ、当村開発に当たり、水の神として当社を祀ったと伝えている。これが御嶽社で、見竹の地名は当社にちなむものである。
『風土記稿』に「御嶽社、神明社、以上二社、村の鎮守にて、円福寺持」とあり、別当円福寺は真言宗で御嶽山と号している。当社と並んで鎮守である神明社は、神明耕地にあった。
明治初めの神仏分離により円福寺から離れた当社は、明治五年に村社となり、同三二年に前出の神明社を合祀する。神明社の跡地は、戦前まで神田と呼び、小作に出し、その小作料を神社費に繰り入れていた。同地は農地解放により失ってしまったが、ここは現在も神明屋敷と呼ばれている。なお、当社参道に面した土地は円福寺持ちである。
社殿は、拝殿・幣殿・本殿・覆屋からなり、江戸後期造営の本殿は一間社流造りで、脇に合祀の神明社がある。他の社殿は昭和八年の造営である。(「埼玉の神社」より)
「加須市の神社・寺院」による常泉御嶽社の由緒
当社の創建年月日は明らかでない。『風土記』によれば常泉村の鎮守で、円福寺持ちとされている。
明治五年(一八七二)三月、神仏分離令に伴う社格の制度化によって村社に列し、同三十二年五月八日には字見竹の無格社神明社を合祀している。昭和八年(一九三三)四月三十日には、本殿の改築及び幣殿が氏子の寄進により落成している。(「加須市の神社・寺院」より)
常泉御嶽社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)
- 「加須市の神社・寺院」