永意山地蔵院。名主市十郎の先祖八右衛門が建立した地蔵堂
地蔵院の概要
真言宗智山派寺院の地蔵院は、永意山と号します。地蔵院は、名主市十郎の先祖八右衛門が、寛永5年(1628)に地蔵堂を建立、その後法印甚盛(延宝3年1675寂)が開山、第十四世法印良阿が中興開山したといいます。
山号 | 永意山 |
---|---|
院号 | 地蔵院 |
寺号 | - |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 加須市浜町2-18 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
地蔵院の縁起
地蔵院は、名主市十郎の先祖八右衛門が、寛永5年(1628)に地蔵堂を建立、その後法印甚盛(延宝3年1675寂)が開山、第十四世法印良阿が中興開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による地蔵院の縁起
(小濱村)
地蔵院
新義眞言宗、南篠崎村普門寺末、能惠山長命寺と號す本尊大日を安ず、元は地蔵堂なりしを、今の里正市十郎が祖先、八左衛門と云るもの一寺となせりと、彼は延寶七年十二月十四日死せり、開山榮賀延寶三年七月廿四日寂す、
地蔵堂(新編武蔵風土記稿より)
「加須市の神社・寺院」による地蔵院の縁起
当寺は、慶応二年(一八六六)七月十一日火災にかかり、堂宇をはじめとして什物・古記録等多くをことごとく焼失したためにその寺歴は明らかでない。しかし、伝えによれば寛永五年当地の名主市十郎(現在の鈴木勇家)の先祖八右衛門が、地蔵堂を建立したのが当寺の始まりと伝えられている。開山は法印甚盛といい、延宝三年(一六七五)二月二十四日の入寂である。
前述のとおり、慶応二年の火災で諸堂宇を焼失したが、同三年二月二十日本堂を再建した。その後、明治中期頃まで無住寺であったため諸堂荒廃したが、法印良阿が第十四世として入山し、復興して中興開山となった。良阿は昭和六年四月七日の入寂である。大正十四年(一九二五)十一月には、山門の改築が行われ、昭和四十四年(一九六九)八月には本堂及び庫裏の再建が行われ、現在に至っている。(「加須市の神社・寺院」より)
地蔵院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「加須市の神社・寺院」