遍照山光明寺。加須市本町にある浄土宗寺院
光明寺の概要
浄土宗寺院の光明寺は、遍照山臺嶽院と号します。光明寺は、南海(天正12年1584年寂)が開山となり元亀2年(1571)に創建したといいます。当寺の阿弥陀三尊像は市文化財に指定されています。
山号 | 遍照山 |
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院号 | 臺嶽院 |
寺号 | 光明寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 加須市本町14-43 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光明寺の縁起
光明寺は、忍城主成田下総守氏長室の弟加津内蔵丞長高及び竹井定右衛門を開基として、南海(天正12年1584年寂)が開山となり元亀2年(1571)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による光明寺の縁起
(加須村)光明寺
浄土宗、上野國邑樂郡舘林善導寺の末、遍照山臺嶽院と號す、本尊三尊彌陀、開山南海元龜二年二月草創して、天正十二年二月十五日寂す、
鐘樓。鐘は享保五年八月の銘なり(新編武蔵風土記稿より)
「加須市の神社・寺院」による光明寺の縁起
当寺は元亀二年(一五七一)三月十八日、開山上人乗蓮社大誉南海上人が、忍城主成田下総守氏長室の弟加津内蔵丞長高及び竹井定右衛門と共に創建したと伝えられている(『浄土宗全書』)。南海上人は天正十二年(一五八四)二月十五日七十五歳で入寂している。本尊は阿弥陀如来立像で、脇侍仏は観音、勢至の両菩薩像である。一名「三尊像」と称されるこの像は、室町時代の造立と伝えられている。(「加須市の神社・寺院」より)
光明寺所蔵の文化財
- 光明寺の三尊(市指定文化財)
光明寺の三尊
光明寺の本尊は、阿弥陀如来で像高七十八・七センチメートル、脇立は、観世音菩薩と勢至菩薩で、三尊とも寄木造りの立像である。
三尊とも無名ながら同一の作者、同一の技法によって造られたもので室町初期と推定される。衣紋は、金箔に戴金文様の総模様ですばらしい。
三尊の光背や蓮台、本尊の顔面と胸のあたりの金泥は、文政年間に補修した旨が光背の裏面に記されている。(加須市教育委員会掲示より)
光明寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「加須市の神社・寺院」