浄楽寺。騎西藩主大久保忠常の父大久保相模守忠隣が開基
浄楽寺の概要
真宗大谷派寺院の浄楽寺は、大久保山竹林院と号します。浄楽寺の創建年代等は不詳ながら、戦国時代に浄楽(元亀3年1572年寂)が開山、その後騎西藩主大久保忠常の父大久保相模守忠隣が私財を投じて開基したといいます。
山号 | 大久保山 |
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院号 | 竹林院 |
寺号 | 浄楽寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 加須市騎西59-4 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄楽寺の縁起
浄楽寺の創建年代等は不詳ながら、戦国時代に浄楽(元亀3年1572年寂)が開山、その後騎西藩主大久保忠常の父大久保相模守忠隣が私財を投じて開基したといいます。
新編武蔵風土記稿による浄楽寺の縁起
(騎西町場)
浄楽寺
一向宗、京都東本願寺の末、開山浄楽元龜三年五月朔日示寂といへどこれ當寺いまだ庵室なりし頃の僧なるべし、後大久保相模守忠隣、資財を供して一寺となせり、是を當寺開基とすと云、(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による浄楽寺の縁起
当寺は大久保山 竹林院と号し、本尊に阿弥陀如来を奉安する。創建は不詳であるが、戦国時代に浄楽が開山したという。
また、一説には大久保相模守忠隣(騎西城主大久保忠常の父)が資財を供して開基したともいう。
古くから大久保氏との関係が深く、かつて大久保氏の家臣であったと伝える檀家が数多い。
江戸時代初期に描かれた「武州騎西之絵図」によれば、寺域は広く、二重の堀に囲まれている。また周囲には塗塀がめぐらされ、塀には狭間(鉄砲や弓矢を放つための小さな穴)が整然と並んでいたという。
なお、かつて境内には太子堂があり、建築に携わる職人たちから信仰を集めていた。(加須市教育委員会掲示より)
浄楽寺所蔵の文化財
- 大日種子板碑(荘厳体)
- サルスベリ(百日紅)の古木
浄楽寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿