香積寺。地頭設楽兵庫頭貞清が開基
香積寺の概要
曹洞宗寺院の香積寺は、永喜山と号します。香積寺は、地頭設楽兵庫頭貞清が開基となり、男衾郡野原の文殊寺第六世紹雲晃隆を開山として文禄元年(1592)に創建したといいます。山号の永喜山は、開基貞清の祖父貞重の法名元光院殿悦山永喜大居士に因んだものだといいます。
山号 | 永喜山 |
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院号 | |
寺号 | 香積寺 |
本尊 | 釈迦如来座像 |
住所 | 加須市馬内684 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
香積寺の縁起
香積寺は、地頭設楽兵庫頭貞清が開基となり、男衾郡野原の文殊寺第六世紹雲晃隆を開山として文禄元年(1592)に創建したといいます。山号の永喜山は、開基貞清の祖父貞重の法名元光院殿悦山永喜大居士に因んだものだといいます。
新編武蔵風土記稿による香積寺の縁起
(馬内村)
香積寺
同宗同末(禅宗曹洞派)、男衾郡野原村文殊寺末、永喜山と號す、設楽兵庫頭貞清の開基なり、貞清は寛永八年三月五日卒す、法謚洞林院葉山昌奕と號す、開山は本寺六世の僧紹雲興隆文禄四年四月廿一日寂せり、本尊釋迦を安ず、客殿の軒に鐘一口を掛く、明暦二年の銘文にて、願主大檀那菅原氏設楽甚三郎貞辰と彫れり、(新編武蔵風土記稿より)
「加須市の神社・寺院」による香積寺の縁起
当寺は文禄元年(一五九二)、加須、礼羽、馬内、名倉、戸崎(現騎西町) の所領五カ村の地頭設楽兵庫頭貞清が開基となり、男衾郡野原村(現大里郡江南村)の文殊寺第六世紹雲晃隆を開山として創建されたものである。貞清は、寛永八年(一六三一)三月五日六十七歳で逝去し、当寺に葬られている。開山の紹雲晃隆は文禄四年の入寂と伝えらいる。
また、当寺は、山号を永喜山というが、これは開基の貞清が、祖父貞重の法名元光院殿悦山永喜大居士にちなんで命名したものである。
本堂は、文禄元年の創建時に建立され、その後、寛永年間に再建されている。寺伝によれば、明治維新前に火災にかかったといわれ、現本堂はその後再建されたものである。大正六年(一九一七)、及び昭和二十五年(一九五〇)八月にそれぞれ本堂の修復が行われている。
大正十一年十一月九日には、本堂内の天蓋の新調を記念して記念碑を建立したが、このとき、東京麻布に住む旧地頭ゆかりの設楽貞正氏より、金百円の寄進をうけた。
中興開山は第八世繍縫海補大和尚で、寛永八年三月五日の入寂である。現在のは、第十七世玄外儀三大和尚代の昭和七年四月一日に建立されたものである。(「加須市の神社・寺院」より)
香積寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「加須市の神社・寺院」