観音寺。騎西城主奥方の守護仏、忍領三十三所
観音寺の概要
曹洞宗寺院の観音寺は、福聚山と号します。観音寺の創建年代等は不詳ながら、真言宗寺院として開創、徹叟和尚(慶安3年1650年寂)が曹洞宗寺院に改め開山したといいます。境内観音堂の如意輪観音は、騎西城主奥方の守護仏といわれ、馬の守護に霊験あらたかだとされ、馬の無事を祈願する者で賑わったそうです。如意輪観音は、忍領三十三所16番です。
山号 | 福聚山 |
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院号 | - |
寺号 | 観音寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 加須市根古屋190 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺の創建年代等は不詳ながら、真言宗寺院として開創、徹叟和尚(慶安3年1650年寂)が曹洞宗寺院に改め開山したといいます。境内観音堂の如意輪観音は、騎西城主奥方の守護仏といわれ、馬の守護に霊験あらたかだとされ、馬の無事を祈願する者で賑わったそうです。
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(根古屋村)
観音寺
禅宗曹洞派、上會下村雲祥寺の末、福聚山と號す、本尊阿彌陀、開山徹叟慶安三年五月廿二日示寂す、
觀音堂。如意輪觀音なり、弘法大師の作、前に不動毘沙門を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による観音寺の縁起
当寺は福聚山と号し、本尊に釈迦如来を奉安する。開山の徹叟和尚は慶安三年(一六五〇)に没していることから、その創建は江戸初期以前と思われる。なお、江戸初期に描かれた「武州騎西之絵図」によれば「真言宗観音寺」と記されており、いつの頃か改宗したとも思われる。
江戸時代、新西国三十三番札所の十六番として多くの信仰を集め、次の歌が詠まれている。
たのもしや 大慈大悲の観音寺 誓いの網に 誰か漏れなん
境内の観音堂には、騎西城主奥方の守護仏といわれる如意輪観音を奉安する。当堂は馬の守護に霊験あらたかで、二月十七日の祭礼には、一年の無事を祈願する馬が近郷から集まった。
また、八月十日の祭礼を”朝観音”八月十七日を”夜観音”と呼び、子授けや安産を祈願する参詣者で賑わったという。(加須市教育委員会掲示より)
観音寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿